四方竜文(読み)しかた・りゅうぶん

朝日日本歴史人物事典 「四方竜文」の解説

四方竜文

没年:寛政10(1798)
生年享保17(1732)
江戸中・後期の鋳金家。金寿泰と号した。丹波国(京都府)亀山藩士の家に生まれ,明和1(1764)年ごろ以降,京都・東洞院付近に住し,鋳造業を生業にしたという。蝋型鋳造技法にすぐれ,特に鉄瓶の制作や青戻しと称される器面の着色法に独特なものがある。2代目を継いだ長男安之助(1780~1841)は,初代の名に因んで竜文堂と号し,鉄瓶のほかにも中国古銅器の模作にみるべきものがあった。2代目以降,代々子孫が竜文堂の号銘を伝えている。

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「四方竜文」の解説

四方竜文(2代) しかた-りゅうぶん

1780-1841 江戸時代後期の鋳金家。
安永9年生まれ。初代四方竜文の長男。鉄瓶のほか,文人好みの中国風の香炉,文房具などをつくる。頼山陽(らい-さんよう),青木木米(もくべい)らとまじわり,隠居後は陶器も手がけた。門人に秦(はた)蔵六ら。2代以降,竜文堂と号した。天保(てんぽう)12年11月5日死去。62歳。通称は安之助。隠居名は安平。

四方竜文(3代) しかた-りゅうぶん

1796-1850 江戸時代後期の鋳金家。
寛政8年生まれ。文政10年京都に出,のち竜文堂をつぐ。鉄瓶の製作にすぐれ,和歌,俳諧(はいかい),茶道にも通じた。舶来ブリキをつかって茶入れ,矢立てなどをつくった。嘉永(かえい)3年3月17日死去。55歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は広島。幼名は伝造。通称は安之助。

四方竜文(6代) しかた-りゅうぶん

1840-1921 幕末-大正時代の鋳金家。
天保(てんぽう)11年生まれ。一族の錺師(かざりし)で本名は溝口喜兵衛。竜文堂をつぐ。紹美栄祐,4代高橋道八,初代伊東陶山らと維福社を組織して,京都の工芸品を東京で販売。四方姓にあらためず,溝口氏を称した。大正10年1月8日死去。82歳。幼名は長兵衛。通称は安之助。

四方竜文(初代) しかた-りゅうぶん

1732-1798 江戸時代中期-後期の鋳金家。
享保(きょうほう)17年生まれ。もと丹波亀山藩(京都府)藩士。明和元年ごろ京都で鋳造業をいとなむ。茶の湯釜を応用して蝋型で鉄瓶を鋳造する方法を創案。また,青もどしと称する着色の方法を創出した。作品に金寿泰と銘を刻した。寛政10年7月3日死去。67歳。

四方竜文(4代) しかた-りゅうぶん

1816-1884 江戸後期-明治時代の鋳金家。
文化13年生まれ。天保(てんぽう)8年四方家の娘婿となり,家業の鉄瓶製作にあたる。明治6年京都府勧業場御用掛になる。明治17年7月30日死去。69歳。京都出身。本姓は松下。幼名は亀次郎。通称は安之助。

四方竜文(7代) しかた-りゅうぶん

1868-1932 明治-昭和時代前期の鋳金家。
明治元年生まれ。5代の次女四方タケを妻とし,大正10年に家業をつぐ。昭和7年7月17日死去。65歳。旧姓は広谷。幼名は栄次郎。通称は安之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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