デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「四方竜文」の解説
四方竜文(2代) しかた-りゅうぶん
安永9年生まれ。初代四方竜文の長男。鉄瓶のほか,文人好みの中国風の香炉,文房具などをつくる。頼山陽(らい-さんよう),青木木米(もくべい)らとまじわり,隠居後は陶器も手がけた。門人に秦(はた)蔵六ら。2代以降,竜文堂と号した。天保(てんぽう)12年11月5日死去。62歳。通称は安之助。隠居名は安平。
四方竜文(3代) しかた-りゅうぶん
寛政8年生まれ。文政10年京都に出,のち竜文堂をつぐ。鉄瓶の製作にすぐれ,和歌,俳諧(はいかい),茶道にも通じた。舶来のブリキをつかって茶入れ,矢立てなどをつくった。嘉永(かえい)3年3月17日死去。55歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は広島。幼名は伝造。通称は安之助。
四方竜文(6代) しかた-りゅうぶん
天保(てんぽう)11年生まれ。一族の錺師(かざりし)で本名は溝口喜兵衛。竜文堂をつぐ。紹美栄祐,4代高橋道八,初代伊東陶山らと維福社を組織して,京都の工芸品を東京で販売。四方姓にあらためず,溝口氏を称した。大正10年1月8日死去。82歳。幼名は長兵衛。通称は安之助。
四方竜文(初代) しかた-りゅうぶん
享保(きょうほう)17年生まれ。もと丹波亀山藩(京都府)藩士。明和元年ごろ京都で鋳造業をいとなむ。茶の湯釜を応用して蝋型で鉄瓶を鋳造する方法を創案。また,青もどしと称する着色の方法を創出した。作品に金寿泰と銘を刻した。寛政10年7月3日死去。67歳。
四方竜文(4代) しかた-りゅうぶん
文化13年生まれ。天保(てんぽう)8年四方家の娘婿となり,家業の鉄瓶製作にあたる。明治6年京都府勧業場御用掛になる。明治17年7月30日死去。69歳。京都出身。本姓は松下。幼名は亀次郎。通称は安之助。
四方竜文(7代) しかた-りゅうぶん
明治元年生まれ。5代の次女四方タケを妻とし,大正10年に家業をつぐ。昭和7年7月17日死去。65歳。旧姓は広谷。幼名は栄次郎。通称は安之助。