出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末の長州藩の家老。名は朝相(ちかすけ)、のちに親相と名のる。藩士高洲元忠(たかすもとただ)の次男。家老国司将監迪徳(しょうげんみちのり)の養子。寄組に列し、文武に秀で和歌をたしなんだ。1863年(文久3)の馬関攘夷戦(ばかんじょういせん)には手兵を率いて警備にあたり、ついで赤間関惣奉行(あかまがせきそうぶぎょう)として指揮にあたった。八月十八日の政変が起こると、藩主父子の雪冤(せつえん)、尊攘派立て直しのため64年(元治1)7月に兵を率いて上洛(じょうらく)、禁門の変を起こしたが、敗れて辞職。その責任を負って福原越後(ふくはらえちご)、益田右衛門介(ますだうえもんのすけ)の両家老とともに徳山藩に預けられた。第一次征長軍が国境に迫ると、幕府への謝罪のためとして両名とともに自刃させられた。
[吉本一雄]
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1842.6.15~64.11.12
幕末期の萩藩家老。名は朝相(ちかすけ),のち親相。通称熊之助,のち信濃。高洲家に生まれ,家老職国司家に養子に入る。1863年(文久3)攘夷決行のため馬関(下関)へ出張,6月馬関総奉行となる。同年8月18日の政変に対する冤罪をはらす嘆願がいれられず,翌64年(元治元)兵を率いて上京。禁門の変に敗れて帰藩。幕府の征長軍の進発にあたり,謝罪のため家老益田右衛門介・福原越後とともに切腹させられた。
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