国玉神社(読み)くにたまじんじや

日本歴史地名大系 「国玉神社」の解説

国玉神社
くにたまじんじや

[現在地名]岬町深日

おお川の右岸鎮座祭神は大国魂神・賀茂別雷神。旧郷社。古くは九頭くず大明神とも称した。「延喜式神名帳に日根郡一〇座の一として「国玉クタマノ神社」がみえ、当社に比定される。正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」には「正五位下国玉社」とみえる。付近は古代末期から戦国時代にかけて、京都の賀茂別雷かもわけいかずち社領深日ふけ庄であったため、深日浦北東の浜山はまやま加茂かも神社(賀茂別雷神を祀る)が勧請された。その結果、古くからの当社は衰微し、朝廷幕府の保護を受けた加茂神社は隆盛したという。明治維新まで「明中(名主か)十五軒」が山林を資に供して当社を守ったという(大阪府史蹟名勝天然記念物)


国玉神社
くにたまじんじや

[現在地名]中川区富田町万場

祭神は大物主神・天照大御神・草薙御剣神霊・日本武尊。旧郷社。「延喜式」神名帳に「国玉神社」とみえ、尾張国神名帳に「従二位上 大国玉名神」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国玉神社」の意味・わかりやすい解説

国玉神社
くにたまじんじゃ

福岡県豊前市にある元郷社。祭神はアキツクニタマノカミ,イザナギノミコト,イザナミノミコト。神仏分離以前は求菩提 (くぼて) 山の修験道の中心として護国寺と称し,天台宗系の本山派に属していた。分離以後は寺を廃して国玉神社となり,1878年からしばらくは神道黒住教に属した。大永年間 (1521~1528) に求菩提山南面の普賢窟から出土した,銅板法華経 33枚とそれを入れる康治1 (1142) 年銘の銅筥があり,いずれも国宝。銅筥とその内容物である銅板経が完存する例はほかになく,学術上貴重である。

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