日本大百科全書(ニッポニカ) 「国益主法掛」の意味・わかりやすい解説
国益主法掛
こくえきしゅほうがかり
幕末、江戸幕府が諸産物の生産拡充と、富国策の立案を目的として設けた審議機関。1860年(万延1)4月28日に設立。大目付、目付、勘定奉行(かんじょうぶぎょう)、勘定吟味役(ぎんみやく)、町奉行の兼務。商品経済の活発化と物価上昇に圧迫された武家の生活を安定させるために、産物会所を設けて諸産物の生産・流通に幕府が強く介入、統制を加えるべきであるとの議論は、対外貿易の開始された1859年(安政6)から、いっそう強くなった。しかし幕閣での評議の結果、産物会所の設立は困難であるとして、国益主法掛を設置して、諸方策の専門的検討をさせることにした。設立の直前、閏(うるう)3月19日に出された「五品(雑穀、水油、生糸、呉服、蝋(ろう))江戸廻(えどまわし)令」の実効も望めなかったが、翌61年(文久1)正月、諸商品の増産を図り、江戸と大坂に「国益会所」を設けて、諸国の産物を集めて、入札売買を行い、全国の消費地へ送り、余分を外国に輸出するという趣旨の意見書がまとめられた。とくに強い関心は、横浜における外国商人の「自由」な生糸の買いたたき問題にあったが、幕府の会所を通じて外国貿易を行うことは不可能で、机上のプランに終わった。
それでも1862年2月、江戸北八丁堀の牧野誠成(たかしげ)(丹後(たんご)田辺(たなべ)藩主)邸に国益主法会所が設けられたが、同年7月19日に同会所、主法掛ともに廃止された。
[河内八郎]
『石井孝著『幕末貿易史の研究』(1944・日本評論社)』