日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際流動性問題」の意味・わかりやすい解説
国際流動性問題
こくさいりゅうどうせいもんだい
international liquidity problems
国際流動性の偏在や過不足、異常な流出入といった問題をいう。なお、国際流動性とは、貿易取引や資本取引といった国際取引の決済に使用される通貨のこと。いわゆる国際通貨について、とくに決済機能に着目した概念といえる。
国際取引の決済は、その取引の建値通貨の発行国の外国為替(かわせ)銀行にある非居住者預金口座の振替えによってなされているため、これが国際流動性の具体的な姿に近いといえる。今日では、多くの国際取引がドルでなされているため、ドル・ポジションともよばれるアメリカの銀行にある非居住者ドル預金残高が、もっとも注目されている。
しかし、1国全体としては対外取引の決済に備えて、通貨当局が対外支払準備を保有している。このため、通貨当局が保有する金および外貨、IMF(国際通貨基金)リザーブ・ポジション(無条件引出権)、SDR(特別引出権)といった外貨準備をさす場合もある。いずれにせよ、このような国際流動性が問題となるのは、流動性の地域的偏在または世界全体の過不足、さらには特定国への異常な流出入の場合である。
国際流動性問題は、古くは第一次世界大戦後に金不足論という形で存在した。当時は国際流動性のほとんどは金であり、その生産テンポの低下により、金本位復帰にあたっては金節約が必要とされ、多くの国で金為替本位制が採用された。また第二次世界大戦直後のドル不足も、国際収支の著しい不均衡による国際流動性の偏在問題であった。この問題がとくに注目を浴びるようになったのは、1950年代末から1960年代へかけての流動性ディレンマ論においてである。
[土屋六郎・中條誠一]
流動性ディレンマ論
この議論は、ドル不安・ドル防衛に関連して、R・トリフィンによって提起された。彼によれば、各国の国際流動性は対外取引のための決済通貨として、さらに固定為替相場制のもとでは国際収支不均衡のバッファーとして必要であり、輸出入など対外取引規模の拡大とともに、その必要額も増大する。したがって世界全体では国際流動性は世界貿易の拡大とともに供給を増加させなければならないとした。ところが、戦後の国際流動性は大部分が金にかわってドルで占められていたため、その供給はアメリカの国際収支の赤字によってのみ供給できた。その結果、ドルの信認に不安が生じたのであるが、これに対して、もしアメリカが国際収支改善のためにドル防衛をするならば、ドルの供給が止まり、世界経済は流動性不足によってデフレに陥る。これが流動性ディレンマ論であった。トリフィンは、このディレンマを克服するために、ドルやポンドなど国民通貨を国際通貨にすることをやめ、IMFを世界中央銀行に改組して新しい世界貨幣を創造することを提唱した。
この流動性ディレンマ論については、適正外貨準備量などをめぐって多くの批判が出されたが、当時アメリカは金の流出に悩まされていたので、金にかわる新しい準備資産の必要性を認識し、これに消極的な西欧諸国を説得して、1969年にIMFにおいて、どの国の国民通貨でもない第三の通貨としてSDRの創設に踏み切った。
[土屋六郎・中條誠一]
IMF体制下のドル過剰
1958年に、ヨーロッパが経済復興を果たし、通貨の交換性を回復したのを機に、アメリカからヨーロッパへの投資が活発となり、資本収支の赤字によるアメリカからのドルの流出が増大した。これに対して、アメリカはドル防衛策を講じたが、意図とは裏腹に成功せず、世界は流動性不足ではなく、流動性過剰によるドル不安だけが頻発した。とくに、ドルの垂れ流しが急激になったのは1960年代末期からで、1968年3月のゴールド・ラッシュにおける金プール協定(金の市場価格を公定価格に一致させるという主要先進国間の申し合わせ)の廃止はそのきっかけをつくった。おりしも、ベトナム戦争の費用など政府支出が巨額になったことも加わってドルの流出に拍車がかかり、1971年8月には、ニクソン・ショックにより、ついに金・ドルの交換性が停止され、IMF体制は崩壊せざるをえなくなった。
ところで、このようなドルの流出は、諸外国の信用を膨張させ、インフレを誘発した。とくに西ヨーロッパではインフレ対策として金利を引き上げると、アメリカから資本が流入してその効果が減殺され、通貨当局は対策に苦慮した。日本でも1973年(昭和48)には国際収支の大幅黒字に起因した過剰流動性インフレが起こった。この時期はたまたま世界的に食糧危機や原材料需給の逼迫(ひっぱく)という事情もあったが、過剰流動性は世界インフレの主要な要因となった。
[土屋六郎・中條誠一]
オイル・マネー問題
国際流動性問題を広く解釈して流動性の偏在をも含めれば、1970年代に石油輸出国機構(OPEC(オペック))の二度にわたる原油価格値上げによって生じたオイル・マネー問題は、史上最大の流動性の偏在であった。ちなみに第一次値上げの翌1974年には、1年間にOPEC諸国が取得した余剰ドルは約600億ドルに上り、その後漸減したが、第二次値上げの翌1980年のそれは1150億ドルという巨額に達した。
このようなオイル・マネーのOPECへの蓄積を放置すれば、国際金融システムを破局に導くとの危機感から、オイル・マネーの還流が緊急課題となり、民間ならびに公的国際金融機関が総力をあげて取り組んだ結果、一応の還流が進み、国際金融システムが麻痺(まひ)してしまうという事態は回避しえた。ただし、オイル・マネーのコマーシャルベースでの還流は、それが安易になされたこともあって、1980年代に深刻な累積債務問題を招き、その解決には1990年代初頭までかかったことも事実である。
[土屋六郎・中條誠一]
変動為替相場制下の「ドル本位制」でのドル過剰
IMF体制下以上に、変動為替相場制移行後、過剰ドル問題は深刻化している。1971年のニクソン・ショックによって、アメリカは金・ドル兌換(だかん)を停止し、1973年には主要先進国は変動為替相場制に移行したが、この制度に期待された機能が十分発揮されているとはいいがたい。
為替相場による経常収支調整機能は十分作用せず、むしろ国際資本取引の急増によって、為替相場はオーバー・シューティングや乱高下を繰り返した。このため、世界各国は市場介入のためのドルを外貨準備として保有せざるをえず、ほかに代替的な基軸通貨の存在しない世界では、事実上の「ドル本位制」とならざるをえなかった。
そうしたなかで、金との兌換を停止したアメリカは、いわゆる「通貨発行特権」をフルに活用することができた。すなわち、1970年代なかばから経常収支が赤字に陥ったにもかかわらず、自国通貨ドルで決済でき、そのドルはほぼ自動的にアメリカへのドル預金として還流される(債務決済)という特権にあぐらをかき、その赤字を放置してきた。経常収支赤字によるドルの垂れ流しは、非居住者ドル預金残高(ドル・ポジション)が、1971年の678億ドルから2007年に4.4兆ドルへと激増していることからわかるように、ドル過剰は深刻である。
このことは、世界の通貨・金融システムに多大な問題をもたらしている。一つは、グローバル金融資本主義といわれるように、世界的に実体経済以上に金融が肥大化し、国際間を資金が自由に移動する現代では、過剰ドルが特定国や特定市場(金融商品など)に投機的に流出入することにより、危機を招来していることである。1990年代以降のメキシコ、アジア、ロシアなどの通貨危機、原油をはじめとした資源価格急騰・暴落、世界金融危機における債券価格急騰・暴落とその直後のアイスランド、東欧、韓国等からの国際流動性流出などの根底には、過剰ドルの徘徊があるとみられる。
もう一つは、経常収支赤字によるドル過剰は、アメリカの対外純債務残高(約2.5兆ドル)の累増を招き、赤字の持続が不可能になるというサステナビリティの問題をもたらしている。IMF体制下での資本収支赤字(アメリカの対外純債権累増)によるドル過剰以上に深刻であり、ドル暴落の不安がつきまとっている。まさしく、トリフィンの流動性のディレンマ論で提唱されたことが現実味を増しており、ドルからの脱却をめざした地域的共通通貨の創出、複数基軸通貨体制への移行やSDR見直し論が台頭しつつある。
[土屋六郎・中條誠一]
『R・トリフィン著、村野孝・小島清監訳『金とドルの危機』(1961・勁草書房)』▽『鈴木浩次編『国際流動性論集』(1971・東洋経済新報社)』▽『上川孝夫・藤田誠一・向壽一編『現代国際金融論』第3版(2007・有斐閣)』▽『田中素香・岩田健治編『現代国際金融』(2008・有斐閣)』