園比屋武御嶽(読み)すぬひやんうたき

日本歴史地名大系 「園比屋武御嶽」の解説

園比屋武御嶽
すぬひやんうたき

[現在地名]那覇市首里真和志町一丁目

首里城北西安国あんこく山の南東端に位置し、首里城歓会かんかい門と守礼しゆれい門の間にある王府直轄の御嶽。スヌヒャンウタキとよぶ。県指定史跡。「琉球国由来記」には「ソノヒヤブノ御イベ」とみえ、神名はモジロキヨウニギリキヨウで、首里三平等の大あむしられ(首里・真壁・儀保の三神女)の崇所である。同書や「球陽」尚貞王四年(一六七二)条によれば、昔一人の権臣が王に危害を加えようと謀っていることを、老翁の姿で現れたこの御嶽の神が告げ、未然に防ぐことができたために以降、国王が城外に行幸するたびに必ず園比屋武御嶽を拝礼していくようになったという。国王の洪福を百官が祈祷する行事は、これまで歳徳神所在に応じて選定され行われてきたが、尚敬王一五年(一七二七)に歳徳神の所在にかかわらず必ず当御嶽と冕嶽で祈祷すると定められた(球陽)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「園比屋武御嶽」の意味・わかりやすい解説

園比屋武御嶽
そのひゃんうたき

沖縄県那覇市首里(しゅり)にある琉球神道(りゅうきゅうしんとう)の聖地。『琉球国由来記』(1713)には「ソノヒヤブノ御イベ」とある。首里城の守り神で、城の正門のすぐ外にある。道に面して石門の拝所が建ち、後方山地を聖地とした。王家の出身地、伊是名島(いぜなじま)を遥拝(ようはい)するための御嶽で、同島の田の神御嶽のソノヒヤブの神を移し祀(まつ)ったと伝える。石門は1519年(永正16)の建立で、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが、1945年に第二次世界大戦の戦禍を被って大破した。戦後、復原修理され、現在は国の重要文化財である(指定1972)。2000年(平成12)琉球地方の独特な文化遺産を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産に登録されており、石門も首里城など登録遺産群9か所のうちの一つに含まれている(世界文化遺産)。石門の扁額(へんがく)は原物は残っていないが、その銘文は1519年のもので、琉球最古の候文(そうろうぶん)の遺文である。

[小島瓔


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