土方久元(読み)ヒジカタヒサモト

デジタル大辞泉 「土方久元」の意味・読み・例文・類語

ひじかた‐ひさもと〔ひぢかた‐〕【土方久元】

[1833~1918]幕末志士明治政治家土佐の人。藩命七卿落ちに従った。明治維新後は、農商務相・宮内相などを歴任

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精選版 日本国語大辞典 「土方久元」の意味・読み・例文・類語

ひじかた‐ひさもと【土方久元】

  1. 明治維新の功臣。土佐藩士。勤皇論を唱え、七卿落(しちきょうおち)のとき三条実美に従って長州太宰府に移る。維新後、農商務大臣、宮内大臣。のち「明治天皇御紀」の編集にあたり、また国学院大学長などをつとめた。天保四~大正七年(一八三三‐一九一八

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「土方久元」の解説

土方 久元
ヒジカタ ヒサモト


肩書
宮内相,農商務相,国学院大学学長

別名
通称=楠左衛門 大一郎 変名=南 大一郎 号=秦山

生年月日
天保4年10月16日(1833年)

出生地
土佐国土佐郡秦泉寺村(高知県)

経歴
文久元年武市半平太の土佐勤王党に参加、尊攘運動に投じた。3年8.18の政変で三条実美ら七卿落ちに従い西下。のち倒幕運動に走り中岡慎太郎らと藩長連合実現に尽力。維新後徴士、江戸府判事、鎮将府弁事を経て、明治4年太政官出任。のち内務大輔、内閣書記官長元老院議官宮中顧問官を経て、20年農商務大臣、次いで宮内大臣、枢密顧問官兼任となった。31年辞任し、のち帝室制度取調局総裁、国学院大学長、東京女学館長などを務めた。明治28年伯爵著書に「回天実記」(全2巻)がある。

没年月日
大正7年11月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土方久元」の意味・わかりやすい解説

土方久元
ひじかたひさもと

[生]天保4(1833).10.6. 土佐
[没]1918.11.4. 東京
明治期の政治家。伯爵。土佐藩士土方久用の子で通称楠左衛門。号は泰山。文久1 (1861) 年武市瑞山の誓書盟約に加わって尊皇攘夷運動を行ない,同3年8月 18日の政変以後,七卿に随行して西下し,三条実美の信を得た。さらに倒幕運動にも参加し,中岡慎太郎とともに薩長連合実現へ大きく貢献した。明治維新以後,江戸府判事,東京府判事を経て,明治4 (1871) 年には太政官になり,1877年には一等侍補,さらに内務大輔,内閣書記官長,元老院議官,宮中顧問官,農商務大臣,宮内大臣,枢密顧問官を歴任。その後,帝室制度取調局総裁,臨時帝室編修局総裁として修史事業に尽力,また國學院大學学長,東京女学館館長をも兼ねた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土方久元」の解説

土方久元 ひじかた-ひさもと

1833-1918 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)4年10月6日生まれ。土佐高知藩士。三条実美(さねとみ)の衛士,学習院御用掛となる。中岡慎太郎らと薩長同盟の成立に尽力した。明治20年第1次伊藤内閣の農商務相。同年宮内大臣となり,翌年枢密顧問官を兼任。大正7年11月4日死去。86歳。通称は楠左衛門。号は秦山。著作に「回天実紀」。

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世界大百科事典(旧版)内の土方久元の言及

【土方与志】より

…本名久敬(ひさよし)。幕末の志士で明治の政治家土方久元(1833‐1918)の嫡孫で,伯爵家の当主だった。東京帝国大学国文科卒業。…

※「土方久元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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