坂谷村(読み)さかだにむら

日本歴史地名大系 「坂谷村」の解説

坂谷村
さかだにむら

[現在地名]甲佐町坂谷・堂の原どうのはる鹿里かざと

東に甲佐岳(七五三・二メートル)がそびえ、下益城郡甲佐平こうさびら(現砥用町)と上益城郡水越みずこし(現御船町)との接点になっている。緑川に注ぐ坂谷川に沿って北から本坂谷ほんさかだに堂原どうばる谷内たにうち下谷しもたに打出うちだし小村が点在し、堂原の西に鹿里かざと打出より緑川の上流沿いに広瀬ひろせの小村が所在し、西は中横田なかよこた村、西南小鹿おが村に接する。近世は甲佐手永に属し、「国誌」に「広瀬村竹迫村辻ノ地村堂原村上谷村下谷村葛尾村鹿里村倉谷村等小村アリ」とある。


坂谷村
さかやむら

[現在地名]白石市大平坂谷おおだいらさかや

さい川中流に位置する。奥州街道筋の東にある。南は斎川さいかわ村、西は中目なかのめ村、東は三沢みさわ村と接する。狭いながら比較的肥沃な沖積耕土地帯で坂谷古墳群の存在などから早くから開発が進んだことが推測される。阪谷・坂屋とも書く。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「十八貫五百文 さかや」とある。天正一九年(一五九一)蒲生氏郷領となり、同氏高目録帳(内閣文庫蔵)には田畑等級下の「坂屋 五百卅三石四升 速勝左」とあり、蒲生氏の家臣速水勝左衛門の領地になった。慶長七年(一六〇二)仙台藩一家片倉氏の一円知行地となり、知行高は四一貫九三五文(片倉代々記)


坂谷村
さかだにむら

[現在地名]久美浜町字坂谷

佐濃谷さのだに川支流長野ながの川の最上流に位置する。すぐ西に谷を別にして長野村がある。三方を山に囲まれる。西は下流竹藤たけふじ村に通じる。

丹後国田数帳に「為延吉岡竹藤三ケ保 廿五町二段九十歩内」とみえる「吉岡保」が坂谷村付近をさすという説もある。


坂谷村
さかやむら

[現在地名]和島村坂谷

島崎しまざき村西の丘陵にある。南は村岡むらおか村、西は丘陵を隔てて日本海。村田むらた村の枝郷正保国絵図にはみえない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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