相模国三浦郡西浦賀(横須賀市)に設けられた浦賀番所の長官。江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。老中支配に属し芙蓉間詰,高1000石,役料500俵。配下に与力12騎,同心50人がつき,浦賀の回船問屋が付属した。初代堀隠岐守利雄以下52名が歴任。番所は1720年(享保5)12月伊豆国下田番所を廃し,翌21年浦賀に移した。江戸への入船はすべてここで検査され,沿岸防備と江戸を中心とする商品流通機構の統制機関となった。また三浦郡内幕領や領地,役地の支配も管掌した。幕末に至り異国船来航が盛んになるにともなって江戸湾防備をも兼ね,1819年(文政2)から奉行も2人役となり,江戸と浦賀の月番勤務となった。その後42年(天保13)12月に1人役に,44年(弘化1)2人役,62年(文久2)1人役となり現地で在職した。この間安政の開国にともなって重職となり,従五位の者が就任し長崎奉行の上座となった。
執筆者:神崎 彰利
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江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。1616年(元和2)伊豆に下田(しもだ)奉行が置かれたが、1720年(享保5)12月に相州浦賀へ移った。その職務は、江戸に出入りする廻船(かいせん)の積み荷と奥州から大坂へ送る米穀を検査し、あわせて近在の幕府領ならびに浦賀町中の民政をつかさどった。老中支配に属し、高1000石、平常は属僚を遣わして職務の遂行にあたらせ、奉行は江戸にあって執務した。しかし幕末に異国船が江戸湾に来航するようになると、高2000石となり、従来の職務のほかに、国防上から沿岸防備をはじめ、異国船の取扱いまで幅広く命ぜられ、1862年(文久2)以後、奉行は浦賀に駐在するようになった。元来長崎奉行の次席であったが、安政(あんせい)(1854~60)のころより要職として格式も高くなり、長崎奉行の上席に列するに至った。
[柚木 学]
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