浦賀奉行(読み)ウラガブギョウ

デジタル大辞泉 「浦賀奉行」の意味・読み・例文・類語

うらが‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【浦賀奉行】

江戸幕府遠国おんごく奉行の一。江戸湾に出入りする船、および奥羽大坂間の廻船荷物を検査し、併せて付近幕府領浦賀町政をつかさどった。

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精選版 日本国語大辞典 「浦賀奉行」の意味・読み・例文・類語

うらが‐ぶぎょう‥ブギャウ【浦賀奉行】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の遠国奉行の一つ。相模国神奈川県)浦賀に駐在し、江戸に出入する廻船の積荷および奥羽から大坂へ送る米穀を検査し、あわせて付近の幕府領ならびに浦賀町中の民政を扱う。享保六年(一七二一)二月に下田から浦賀に移る。定員は一人もしくは二人。平常属僚を遣わしてその職を行なわせ、奉行は江戸にあって事に当たったが、文久二年(一八六二)以後はその地に駐在することとなった。属僚には組頭および与力、同心があって、もっぱら積荷検査の事をつかさどった。〔明良帯録(1814)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「浦賀奉行」の意味・わかりやすい解説

浦賀奉行 (うらがぶぎょう)

相模国三浦郡西浦賀(横須賀市)に設けられた浦賀番所長官。江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。老中支配に属し芙蓉間詰,高1000石,役料500俵。配下に与力12騎,同心50人がつき,浦賀の回船問屋が付属した。初代堀隠岐守利雄以下52名が歴任。番所は1720年(享保5)12月伊豆国下田番所を廃し,翌21年浦賀に移した。江戸への入船はすべてここで検査され,沿岸防備と江戸を中心とする商品流通機構の統制機関となった。また三浦郡内幕領や領地,役地の支配も管掌した。幕末に至り異国船来航が盛んになるにともなって江戸湾防備をも兼ね,1819年(文政2)から奉行も2人役となり,江戸と浦賀の月番勤務となった。その後42年(天保13)12月に1人役に,44年(弘化1)2人役,62年(文久2)1人役となり現地で在職した。この間安政の開国にともなって重職となり,従五位の者が就任長崎奉行上座となった。
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百科事典マイペディア 「浦賀奉行」の意味・わかりやすい解説

浦賀奉行【うらがぶぎょう】

江戸幕府の遠国奉行の一。高1000石,役料500俵。1720年伊豆下田番所を廃し,相模浦賀番所(現神奈川県横須賀市)を設置したことにより創設。下田奉行から転じた堀利雄が初代奉行に就任。江戸湾出入廻船の積荷改や相模国三浦郡内幕府領支配のほか江戸湾防備の職務も管掌。安政年間(1854年−1860年)の開国以後は要職となり,長崎奉行より上座となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浦賀奉行」の意味・わかりやすい解説

浦賀奉行
うらがぶぎょう

江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。1616年(元和2)伊豆に下田(しもだ)奉行が置かれたが、1720年(享保5)12月に相州浦賀へ移った。その職務は、江戸に出入りする廻船(かいせん)の積み荷と奥州から大坂へ送る米穀を検査し、あわせて近在の幕府領ならびに浦賀町中の民政をつかさどった。老中支配に属し、高1000石、平常は属僚を遣わして職務の遂行にあたらせ、奉行は江戸にあって執務した。しかし幕末に異国船が江戸湾に来航するようになると、高2000石となり、従来の職務のほかに、国防上から沿岸防備をはじめ、異国船の取扱いまで幅広く命ぜられ、1862年(文久2)以後、奉行は浦賀に駐在するようになった。元来長崎奉行の次席であったが、安政(あんせい)(1854~60)のころより要職として格式も高くなり、長崎奉行の上席に列するに至った。

[柚木 学]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浦賀奉行」の意味・わかりやすい解説

浦賀奉行
うらがぶぎょう

相模国浦賀に設けられた江戸幕府直轄地の遠国奉行の一つ。格式が 1000石で,老中の直接指揮を受ける要職であった。享保5 (1720) 年に下田から転置された。浦賀番所を主管し,付近の天領の施政権を兼有していたが,おもな任務は江戸湾の出入船舶を改めることであった。特に天保8 (1837) 年,アメリカ船『モリソン』号の浦賀来航 (→モリソン号事件 ) 以来,その任務も重大となり,ペリー来航の際には主要な役割を果した。初めは江戸に在勤していたが,外国との交渉が恒常的になると,現地で執務した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浦賀奉行」の解説

浦賀奉行
うらがぶぎょう

江戸幕府の職名。遠国奉行の一つ
1720年相模国(神奈川県)浦賀に設置。老中の管下に属し,江戸への関門として出入船舶の積載貨物の検査にあたった。幕末にはビッドルやペリーが来航するとこれと応接し,外交上重要な役割をつとめた。

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