近世柔術の一流派。もと堤宝山流平法(へいほう)といい、剣、槍(やり)、和良(やわら)、棒、捕縄、鎖鎌(くさりがま)などの諸術を含む総合的武術であった。流祖の堤山城守宝山(やましろのかみほうさん)(法讃、法参とも)は足利義持(あしかがよしもち)のころの人で、下野(しもつけ)国芳賀(はが)郡(栃木県)の守護職を勤め、小具足(こぐそく)の達人であったと伝え、のちに鎌倉の僧慈音(じおん)(一説に中条兵庫助(ひょうごのすけ)とも)に巡り会って念流に傾倒し、とくに鎧組(よろいぐみ)に精妙を得、その高弟十四哲の一人に数えられるに至ったという。同流の系図によれば、その主流は宝山から箱根権現(ごんげん)別当・伊豆の土肥相模守(といさがみのかみ)を経て、西伝して京都六角堂の長尾豪祐(ながおごうすけ)に至り、さらに備後(びんご)宇野から作州津山に入り、浅田権之丞(8代)、田中一超(10代)らを出し、1698年(元禄11)森家の改易後は岡山藩に伝えられた。岡山藩三上元龍の『撃剣叢談(そうだん)』(「武術双書」所収)にこの流儀を詳しく紹介しているのは、著者の実見によるもので、この時代には鎧組より剣術中心に改編されたことがよくわかる。
[渡邉一郎]
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