増善寺
ぞうぜんじ
[現在地名]静岡市慈悲尾
慈悲尾の西に入り込む谷間にある曹洞宗寺院。山号は慈悲山、本尊は延命地蔵。「駿河記」によると、白鳳二一年に道昭が法相宗として草創、養老七年(七二三)行基が駿河に下り、足久保で彫った七体の観音像のうち第二を当寺に安置したという。一説に往古真言宗あるいは天台宗の慈悲寺と称していた寺院と考えられ、いつの時からか廃絶していたが、文明一二年(一四八〇)今川氏親が曹洞宗石雲院(現榛原町)崇芝宗之の弟子で同院に住していた辰応性寅を招き開山として再興したとされる(同書)。天文二三年(一五五四)に富士大宮内の杉田郷(現富士宮市)安養寺領が検地を受けた際に踏出された増分が、弘治二年(一五五六)五月一〇日に当寺住持の嘆願により安養寺に寄進されている(「今川義元判物写」安養寺文書)。永禄四年(一五六一)四月五日には安東の東陽院や遠江国観音寺の住持職が増善寺長老の指南により安堵され(「今川氏真判物」観音寺文書)、同五年六月七日には富士上方先照寺(現富士宮市)の諸役が増善寺の嘆願によって免除されている(「今川氏真判物」先照寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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