日本大百科全書(ニッポニカ) 「壬生氏」の意味・わかりやすい解説
壬生氏
みぶうじ
律令制の成立以前、皇子の養育料を負担するためにおかれた壬生部から生じた氏族。姓は臣(おみ)・連(むらじ)・公(きみ)・直(あたい)・首(おびと)などであり、山城・伊賀・駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・常陸・美濃・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)・若狭・出雲・備中・肥後など諸国に所在した。また、宮城門の1つである美福門(びふくもん)は、818年(弘仁9)の改名以前は壬生門と称されており、壬生氏が守衛の任にあたっていた。『新撰姓氏録』には、河内国「皇別」に天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の後裔と伝えられる壬生臣、同国「未定雑姓」に崇神天皇(すじんてんのう)の後裔という壬生部公が載録されている。そのほか『常陸国風土記』行方郡(なめかたぐん)条には、653年(白雉4)に同郡の郡家を設置した人物として、那珂国造(なかのくにのみやつこ)壬生直夫子(みぶのあたいおのこ)や、開発伝承でも知られる茨城国造壬生連麻呂(みぶのむらじまろ)の名がみえる。時代を下れば、慈覚大師(じかくだいし)円仁は下野国の壬生氏の出身であり、歌人として有名な壬生忠岑(ただみね)・忠見(ただみ)親子もいる。
[西村さとみ]
『佐伯有清著『新撰姓氏録の研究 研究篇』(1963・吉川弘文館)』