日本大百科全書(ニッポニカ) 「売位・売官」の意味・わかりやすい解説
売位・売官
ばいいばいかん
財貨を募るかわりに位階や官職を授与すること。その起源は704年(慶雲1)の「続労(しょくろう)」に求められる。元来この続労の制は下級官人を優遇するためのもので、現職を退いたのちも銭などを納入して前労を継続させていたが、のちには功労を継続するというよりも、むしろ官を売買する性格が強くなり、続労にかえて「贖労(しょくろう)」の文字があてられるようになった。737年(天平9)と764年(天平宝字8)に贖労を禁止する勅が出たが、効果はあがらず、平安時代に入ると、律令(りつりょう)財政の行き詰まりから、国家財政の不足を補うため、ますます盛んに行われるようになった。914年(延喜14)三善清行(みよしきよゆき)は、「意見封事(いけんふうじ)」12か条を奉り、その第10条において、贖労の人を諸国の検非違使(けびいし)や弩師(どし)に任用することの弊害を指摘した。しかし、この意見は採用されず、のちには国司や衛門府(えもんふ)、兵衛(ひょうえ)府の尉(じょう)などにも、贖労の人を任用するようになった。また売位・売官の一つに年給がある。これは天皇、院宮、親王、女御(にょうご)、内侍司(ないしのつかさ)の女官、公卿(くぎょう)などに、毎年給付する年官、年爵をいう。年官とは、除目(じもく)で外官(げかん)・内官を申請する権利を与えることであり、年爵とは、叙位(じょい)の際、叙爵(従(じゅ)五位下)を申請する権利を与えることをいい、給主は官や爵を望む者を募り、申文(もうしぶみ)を官に進めて叙任するが、叙位・任官者は給主に対して任料、叙料を納めねばならない。これが給主の財源となるわけである。年給は一種の持ち株のようなもので、かならずしも当年に申請する要はなく、申請の年次は相当任意である。この年給制度は10世紀中ごろまで盛行したが、国司制度の崩壊とともにしだいに衰退していった。年給が個人の財源確保のために設けられたのに対して、国家財政を荷担させるため国家が売位・売官するものに栄爵(えいしゃく)や成功(じょうごう)がある。これらは、各種の造営、修理、朝廷の大儀などの功料や用途料を提供した者に爵位や官職を与えるものである。
[渡辺直彦]