年料給分の略称。天皇、太上(だじょう)天皇(院)、三宮(さんぐう)(三后(さんこう)とも。皇后、皇太后、太皇太后)、東宮(とうぐう)、准后(じゅごう)より、親王、内親王、女御(にょうご)、公卿(くぎょう)に至るまで、毎年給付する年官、年爵をいう。年官とは、春の県召除目(あがためしのじもく)で地方官(外官(げかん))、秋の司召(つかさめし)除目で京官(内官)を申請する権利を与えること。年爵とは、叙位(じょい)の際、叙爵(従(じゅ)五位下)を申請する権利を与えることで、これは院宮に限られる。年官、年爵を与えられた給主は、官や爵(位)を望む者を募り、申請して叙任し、そのかわりに任料、叙料を徴収して個人の得分とする。このように年給は、官や爵を一種の持ち株として個人に給(たま)わったもので、売位・売官の制度にほかならない。この制は9世紀中ごろから食封(じきふ)制度が崩れて、皇族の経済生活が窮乏してきたために考案され、宇多(うだ)天皇の寛平(かんぴょう)年間(889~898)には確立し、10世紀中ごろまで盛行したが、以後は国司制度の崩壊とともにしだいに衰退していった。その年給の種類と給数は、内給(掾(じょう)2人、目(さかん)3人、史生(ししょう)20人)、院宮・准后給(掾1人、目1人、史生3人、内官1人、爵1人、三宮・准后には女爵一人を追加)、親王・内親王給(目1人、史生1人)、女御給(目1人、史生1人)、尚侍(ないしのかみ)給(目1人、史生1人)、典侍(ないしのすけ)給(史生1人)、掌侍(ないしのじょう)給(史生1人)、公卿給は関白(かんぱく)・太政(だいじょう)大臣(目1人、史生3人)、左右内大臣(目1人、史生2人)、大中納言(目1人、史生1人)、参議(目1人、史生1人)である。
[渡辺直彦]
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皇族・貴族らに認められた位階・官職の推挙枠。年料給分の略称。叙爵の推挙が年爵,下級官職への推挙が年官で,給主(推挙者)によって内給・院宮(いんぐう)給・親王給・公卿給・女御(にょうご)給などとよびわける。給主が叙料・任料という収益をえることを目的とした,反律令制的な売位・売官制度と評価するのが一般的。9世紀中期から発達し,寛平年間に体系的に整序され,10世紀後期以降さまざまな策を補いながら,形式的には江戸時代まで存続した。
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…ただ院分受領も,はじめは任期や功過査定などについては一般の受領と同様の扱いを受けており,分国主に対する財力奉仕の事例は少なくないが,国主の収益の具体的な内容は明らかでない。なお院宮分国制と類似した制度に,天皇,上皇以下公卿らに一定の官職・位階の推挙権を与える年給制度があり,そのうちの国守を給するのが院宮分国制であるとする説もあるが,年給は受領補任とは別個の手続で行われるもので,両者は永く並行して存続している。 鳥羽院政に入って,院宮分国は急激に減少したが,後白河院政以降はまたしだいに増加し,その間大きく変質して分国主の領国と化していった。…
…(1)9世紀後半から律令制度にもとづく食封制度の衰退にともない年給をうける人々が出てきて,その年給をうける人のことを給主あるいは給人と呼んだ。この制度はしだいに形骸化しながら江戸時代初期までつづいた。…
… 成功は宮殿,寺社の修造や諸行事の経費を私財で負担した者などを任官させる制度であり,初期を過ぎるころから行われ,また栄爵は同様の者を叙爵させる(五位を授ける)制度であり,同じころに成立した。一方,年官,年爵は合わせて年給といい,これより早く発生した。年給は年料給分の意味で,毎年所定の官職に所定の人数を申任する権利を与えて収入を得させるのが年官であり,所定の人数の叙爵を申請する権利を与えて収入を得させるのが年爵である。…
※「年給」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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