多和田葉子(読み)タワダヨウコ

デジタル大辞泉 「多和田葉子」の意味・読み・例文・類語

たわだ‐ようこ〔‐エフこ〕【多和田葉子】

[1960~ ]小説家。東京の生まれ。ドイツの書籍輸出会社に入社しハンブルク赴任、退社後も当地に生活拠点をおく。「犬婿入り」で芥川賞受賞。他に「容疑者の夜行列車」「ヒナギクのお茶の場合」「球形時間」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「多和田葉子」の意味・わかりやすい解説

多和田葉子
たわだようこ
(1960― )

小説家。東京都生まれ。都立立川高校では、第二外国語としてドイツ語を学ぶ。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。大学ではドイツ語の勉強を続けるとともに、さまざまな同人誌にかかわった。大学卒業後の1982年(昭和57)、ハンブルクにあるドイツ語書籍輸出取次会社に研修社員として就職、以降一貫して生活の拠点をハンブルクに置く。87年、日独語を並置したパラレルテクストとして、短編小説と詩からなる『Nur da wo du bist da ist nichts/あなたのいるところだけなにもない』(ペーター・ペルトナー訳)をドイツで出版する。10歳の頃から小説家になることを志していたという作家の処女作が2か国語によるものだったというのは意味深い。「日本にいたときは、私なんか、ほんとに外部の体験というのがない育ち方をしたので」という多和田は、「外国語を学ぶということは、文化の感性を学ぶということでもあるんですけども、言葉というものが持っている感性と、自分自身の肉体というか感性とのあいだにズレがあるということを自覚することでもあるんですね」(「母国語から遠く離れて」)と、外国語・外国文学との遭遇が作家的出発の源となったことを振り返っている。以降、多和田が「ズレ」と呼ぶこの違和感のようなものは、言葉や物語という制度に対する身の置きどころのなさ、座りの悪さとして彼女の独特な作品世界の重要な構成要素となる。91年(平成3)、書類結婚を題材にした奇譚「かかとをなくして」(『三人関係』所収)で『群像』新人文学賞受賞。その後、「三人関係」(1991)、「ペルソナ」(1992)に続いて発表した「犬婿入り」(1992)で第108回芥川賞を受賞する。受賞作は民話に素材をとっているものの、そうした物語的骨格と、絶えず自壊していこうとする語りの軟体性・流体性とがせめぎあいを演ずることで、いかにも多和田らしい不安定な現実感覚を生み出している。と同時に、全編にわたりユーモアともウィットとも違う、「ギャグ」とでも呼ぶべき毒とスピード感のある笑いの種が埋めこまれることにより、作品にドライな活気が与えられている。多和田は風俗小説的に現代のトピックを取りこむのもうまく、90年代の「外国もの」は、円高を背景に大量の日本人若者が海外に出ていった時代に、それ以前とは違った形で「外国」とかかわっていく「日本文化」の諸相をとらえているともいえる。

 多和田が自覚的に選び取る「ズレ」は、外国語による創作という形をとっても現れる。88年、初めてドイツ語による短編小説を執筆、94年にはハンブルク市からレッシング奨励賞を受賞、95年にはバイエルン州芸術アカデミーからシャミッソー賞を受賞するなどしている。またフランス語による作品もある。99年には、米国マサチューセッツ工科大学にドイツの作家として招かれた。欧米語による創作を通して多和田が目指すのは、けっして「名誉欧米人」となることではなく、むしろ日本にむけて「私はドイツ語でも書いているんだ」ということを強調することにより「正統日本語」という観念そのものに揺さぶりをかけることだという(「母国語から遠く離れて」)。

 90年代後半になると執筆のペースは加速し、『ゴットハルト鉄道』(1996)、『聖女伝説』(1996)、『きつね月』(1998)、『飛魂』(1998)、『ふたくちおとこ』(1998)、『カタコトのうわごと』(1999)、『ヒナギクお茶の場合』(2000)、『光とゼラチンのライプチッヒ』(2000)、『変身のためのオピウム』(2001)、『容疑者夜行列車』(2002)など、次々に実験性に満ちた野心作を発表していく。多和田の文体はリズム主導型で、序盤で一定のペースをつかむとそのまま勢いよく最後まで押し通すという場合が多いが、これは物語の骨格が半ば崩壊するかわりに、言葉のリズム感にのった抒情的牽引力のようなものが作品に一体感を与えるという構造と深く関係している。もちろん抒情とはいっても、ウエットナルシシズムとは無縁で、そこに一貫してみられるのは、「私」を殺して言葉そのものに語らせるという、きわめて非耽溺的/意識的な戦略だといえる。2002年に発表された『球形時間』は、そうした戦略性と物語性とがバランスをとった長編で、高校生の男女を視点人物にすえ、諸々の現代風俗を多和田的なクールな距離感とともに取り入れる一方、要所要所に、理想や夢やトラウマを背負いこみ、さまざまな形で過去を引きずった大人たちを配することで、小説的「深さ」へのノスタルジアのようなものをほのめかしてもいる。

[阿部公彦]

『『Nur da wo du bist da ist nichts/あなたのいるところだけなにもない』(ペーター・ペルトナー訳, 1987, Verlag Claudia Gehrke, Tübingen)』『『三人関係』(1992・講談社)』『『ゴットハルト鉄道』(1996・講談社)』『『聖女伝説』(1996・太田出版)』『『きつね月』(1998・新書館)』『『飛魂』(1998・講談社)』『『ふたくちおとこ』(1998・河出書房新社)』『『カタコトのうわごと』(1999・青土社)』『『ヒナギクのお茶の場合』(2000・新潮社)』『『光とゼラチンのライプチッヒ』(2000・講談社)』『『変身のためのオピウム』(2001・講談社)』『『容疑者の夜行列車』(2002・青土社)』『『球形時間』(2002・新潮社)』『『犬婿入り』(講談社文庫)』『富岡多恵子・多和田葉子著「自分を翻訳する文学」(『群像』1993年5月号)』『リービ英雄・多和田葉子著「母国語から遠く離れて」(『文学界』1994年5月号)』『芳川泰久著「〈国境機械〉について――多和田葉子の“国境地帯”の歩き方」(『現代詩手帖』1997年5月号)』『与那覇恵子著「〈間〉をめぐるアレゴリー」(『犬婿入り』所収)』

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知恵蔵mini 「多和田葉子」の解説

多和田葉子

日本語・ドイツ語で作品を手がける日本の小説家、詩人。1960年生まれ、東京都出身。81年、早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。82年、ドイツの書籍輸出会社に入社しハンブルクに赴任、退社後もドイツに生活拠点を置き、同地でハンブルク大学大学院修士課程修了。91年、『かかとを失くして』で群像新人文学賞を受賞。93年には『犬婿入り』で芥川賞を受賞。96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞が授与される。2000年、『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞を受賞。同年、ドイツの永住権を取得。また、チューリッヒ大学博士課程修了。03年、『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞を受賞。05年よりドイツのベルリンに拠点を置く。同年、ドイツにてゲーテ・メダル受賞。11年、『雪の練習生』で野間文芸賞を受賞。13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞を受賞および芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。16年、約30年間に及ぶドイツ語での作家活動が評価され、ドイツの文学賞であるクライスト賞を受賞。同賞の日本人の受賞は初。

(2016-11-22)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多和田葉子」の解説

多和田葉子 たわだ-ようこ

1960- 平成時代の小説家。
昭和35年3月23日生まれ。ドイツの書籍輸出会社にはいり,昭和57年ハンブルクに赴任し,のち退社。現地にすみ,通訳,家庭教師のかたわら日本語とドイツ語で小説をかく。平成3年「かかとを失くして」で群像新人文学賞,5年「犬婿入り」で芥川賞。8年ドイツのシャミッソー文学賞。15年「容疑者の夜行列車」で伊藤整文学賞,谷崎潤一郎賞。21年坪内逍遥大賞。23年「尼僧とキューピッドの弓」で紫式部文学賞。同年「雪の練習生」で野間文芸賞。25年「雲をつかむ話」で読売文学賞(小説賞),芸術選奨文部科学大臣賞。東京都出身。早大卒。著作はほかに「ヒナギクのお茶の場合」(泉鏡花文学賞),「球形時間」(Bunkamura ドゥ マゴ文学賞)。

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367日誕生日大事典 「多和田葉子」の解説

多和田 葉子 (たわだ ようこ)

生年月日:1960年3月23日
昭和時代;平成時代の小説家

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