小説家。東京都生まれ。都立立川高校では、第二外国語としてドイツ語を学ぶ。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。大学ではドイツ語の勉強を続けるとともに、さまざまな同人誌にかかわった。大学卒業後の1982年(昭和57)、ハンブルクにあるドイツ語書籍輸出取次会社に研修社員として就職、以降一貫して生活の拠点をハンブルクに置く。87年、日独語を並置したパラレルテクストとして、短編小説と詩からなる『Nur da wo du bist da ist nichts/あなたのいるところだけなにもない』(ペーター・ペルトナー訳)をドイツで出版する。10歳の頃から小説家になることを志していたという作家の処女作が2か国語によるものだったというのは意味深い。「日本にいたときは、私なんか、ほんとに外部の体験というのがない育ち方をしたので」という多和田は、「外国語を学ぶということは、文化の感性を学ぶということでもあるんですけども、言葉というものが持っている感性と、自分自身の肉体というか感性とのあいだにズレがあるということを自覚することでもあるんですね」(「母国語から遠く離れて」)と、外国語・外国文学との遭遇が作家的出発の源となったことを振り返っている。以降、多和田が「ズレ」と呼ぶこの違和感のようなものは、言葉や物語という制度に対する身の置きどころのなさ、座りの悪さとして彼女の独特な作品世界の重要な構成要素となる。91年(平成3)、書類結婚を題材にした奇譚「かかとをなくして」(『三人関係』所収)で『群像』新人文学賞受賞。その後、「三人関係」(1991)、「ペルソナ」(1992)に続いて発表した「犬婿入り」(1992)で第108回芥川賞を受賞する。受賞作は民話に素材をとっているものの、そうした物語的骨格と、絶えず自壊していこうとする語りの軟体性・流体性とがせめぎあいを演ずることで、いかにも多和田らしい不安定な現実感覚を生み出している。と同時に、全編にわたりユーモアともウィットとも違う、「ギャグ」とでも呼ぶべき毒とスピード感のある笑いの種が埋めこまれることにより、作品にドライな活気が与えられている。多和田は風俗小説的に現代のトピックを取りこむのもうまく、90年代の「外国もの」は、円高を背景に大量の日本人若者が海外に出ていった時代に、それ以前とは違った形で「外国」とかかわっていく「日本文化」の諸相をとらえているともいえる。
多和田が自覚的に選び取る「ズレ」は、外国語による創作という形をとっても現れる。88年、初めてドイツ語による短編小説を執筆、94年にはハンブルク市からレッシング奨励賞を受賞、95年にはバイエルン州芸術アカデミーからシャミッソー賞を受賞するなどしている。またフランス語による作品もある。99年には、米国マサチューセッツ工科大学にドイツの作家として招かれた。欧米語による創作を通して多和田が目指すのは、けっして「名誉欧米人」となることではなく、むしろ日本にむけて「私はドイツ語でも書いているんだ」ということを強調することにより「正統日本語」という観念そのものに揺さぶりをかけることだという(「母国語から遠く離れて」)。
90年代後半になると執筆のペースは加速し、『ゴットハルト鉄道』(1996)、『聖女伝説』(1996)、『きつね月』(1998)、『飛魂』(1998)、『ふたくちおとこ』(1998)、『カタコトのうわごと』(1999)、『ヒナギクのお茶の場合』(2000)、『光とゼラチンのライプチッヒ』(2000)、『変身のためのオピウム』(2001)、『容疑者の夜行列車』(2002)など、次々に実験性に満ちた野心作を発表していく。多和田の文体はリズム主導型で、序盤で一定のペースをつかむとそのまま勢いよく最後まで押し通すという場合が多いが、これは物語の骨格が半ば崩壊するかわりに、言葉のリズム感にのった抒情的牽引力のようなものが作品に一体感を与えるという構造と深く関係している。もちろん抒情とはいっても、ウエットなナルシシズムとは無縁で、そこに一貫してみられるのは、「私」を殺して言葉そのものに語らせるという、きわめて非耽溺的/意識的な戦略だといえる。2002年に発表された『球形時間』は、そうした戦略性と物語性とがバランスをとった長編で、高校生の男女を視点人物にすえ、諸々の現代風俗を多和田的なクールな距離感とともに取り入れる一方、要所要所に、理想や夢やトラウマを背負いこみ、さまざまな形で過去を引きずった大人たちを配することで、小説的「深さ」へのノスタルジアのようなものをほのめかしてもいる。
[阿部公彦]
『『Nur da wo du bist da ist nichts/あなたのいるところだけなにもない』(ペーター・ペルトナー訳, 1987, Verlag Claudia Gehrke, Tübingen)』▽『『三人関係』(1992・講談社)』▽『『ゴットハルト鉄道』(1996・講談社)』▽『『聖女伝説』(1996・太田出版)』▽『『きつね月』(1998・新書館)』▽『『飛魂』(1998・講談社)』▽『『ふたくちおとこ』(1998・河出書房新社)』▽『『カタコトのうわごと』(1999・青土社)』▽『『ヒナギクのお茶の場合』(2000・新潮社)』▽『『光とゼラチンのライプチッヒ』(2000・講談社)』▽『『変身のためのオピウム』(2001・講談社)』▽『『容疑者の夜行列車』(2002・青土社)』▽『『球形時間』(2002・新潮社)』▽『『犬婿入り』(講談社文庫)』▽『富岡多恵子・多和田葉子著「自分を翻訳する文学」(『群像』1993年5月号)』▽『リービ英雄・多和田葉子著「母国語から遠く離れて」(『文学界』1994年5月号)』▽『芳川泰久著「〈国境機械〉について――多和田葉子の“国境地帯”の歩き方」(『現代詩手帖』1997年5月号)』▽『与那覇恵子著「〈間〉をめぐるアレゴリー」(『犬婿入り』所収)』
(2016-11-22)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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