多宝院(読み)たほういん

日本歴史地名大系 「多宝院」の解説

多宝院
たほういん

[現在地名]能代市檜山字小間木

檜山町の南端、丘の中腹にある。曹洞宗、潜竜山と号し、本尊聖観音

多宝院由緒(多宝院蔵)によると、延徳元年(一四八九)常陸下妻城主多賀谷氏の開基。慶長七年(一六〇二)佐竹義宣が秋田移封の時、多宝院も多賀谷氏に従って仙北せんぼく白岩しらいわ(現角館かくのだて町)に移り、同一五年檜山城下に伽藍を建立した。寛永一九年(一六四二)徳川氏の朱印で一〇〇石を得て、境内山林は永除地となる。


多宝院
たほういん

[現在地名]下妻市下妻

坂本さかもとにある。曹洞宗、潜竜山と号し、本尊は釈迦如来。文明年間(一四六九―八七)多賀谷家植が結城乗国じようこく寺の小伝宗開山として大串おおくしにあった古寺を当地に再興移転したという(下妻市史)。以後多賀谷氏歴代の菩提所となり、同氏が下妻領を没収された後も存続し、江戸幕府から朱印地一〇〇石を与えられている(寛文朱印留)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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