夜嵐お絹(読み)よあらしおきぬ

改訂新版 世界大百科事典 「夜嵐お絹」の意味・わかりやすい解説

夜嵐お絹 (よあらしおきぬ)

講談演目。1872年(明治5)2月20日,小塚原の刑場で8代目首斬朝右衛門により処刑される前に,〈夜嵐のさめて跡なし花の夢〉と辞世をよんだことから,〈夜嵐〉の異名をとった毒婦原田きぬの生涯を描いたもの。1844年(弘化1),番町のある旗本の御用人原田某が,妻の死後女中に生ませたのがきぬだと伝えられているが,異説も多い。猿若町の芝居茶屋から芸者に出て,小林金平なる金貸しの妾(めかけ)となるが,役者の嵐璃珏(りかく)(後,市川権十郎)と密通のうえ,主人金平を毒殺したため晒首(さらしくび)となった実録が,多くの講釈師によって読まれた。《妲己(だつき)のお百》《鬼神のお松》《高橋お伝》などとともに,いわゆる〈毒婦物(どくふもの)〉の代表作である。
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朝日日本歴史人物事典 「夜嵐お絹」の解説

夜嵐お絹

講談の登場人物。幕末明治時代の芸妓原田キヌ(1844~72)がモデル。原田は金貸業の小林金平を石見銀山の殺鼠剤で毒殺し,「毒婦」として騒がれた。江戸に生まれ,少女時代に養老滝五郎に弟子入りし,小春芸名寄席に出て手品を演じた。安政5(1858)年父母が相次いで病死,叔父にひきとられたが,妾奉公に出され,慶応4(1868)年上野の戦争で家を焼かれやむなく小ぬきの名で芸妓に出た。通い詰めた小林にひかされ,妾となったが,大阪の役者嵐璃鶴(2代目市川権十郎)と相思相愛の関係におちいり,明治4(1871)年小林を毒殺した。半年後に逮捕され,嵐は2年の徒刑,キヌは翌5年2月20日,小塚原で斬罪になった。処刑の前に「夜嵐のさめて跡なし花の夢」と辞世をよみ,実録が多くの講釈師によって演じられた。<参考文献>綿谷雪『近世悪女奇聞』

(関井光男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「夜嵐お絹」の解説

夜嵐お絹 よあらし-おきぬ

講談の登場人物。
金貸し業小林金平の妾となった元芸者で,役者嵐璃珏(あらし-りかく)(のちの2代市川権十郎)と密通し,金平を毒殺する。明治5年(1872)2月20日29歳で処刑された原田キヌがモデル。夜嵐の異名は,お絹が処刑の際によんだとされる辞世「夜嵐のさめて跡なし花の夢」からきている。

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