万葉歌人。天武天皇の皇女で大津皇子の同母姉。母は天智天皇の皇女大田皇女だが,大伯が6歳のおりに没した。673年(天武2)斎宮に命じられ,13歳から26歳までの間伊勢神宮に仕えた。686年(朱鳥1)父天皇の死にともない斎宮の任を解かれ,それと前後して弟大津皇子の謀反事件がおこる。皇女の歌は《万葉集》巻二に6首あり,事件の直前ひそかに伊勢へ下ってきた大津を見送る歌2首,大津の処刑後上京したときの2首,大津の屍を二上山へ移葬するさいの2首と,すべて弟の謀反にかかわって詠まれている。その作は,〈我が背子(せこ)を大和へ遣るとさ夜ふけて暁(あかとき)露に我が立ち濡れし〉〈うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む〉のように素朴で歌謡風の口つきながら,いずれも清楚な気品にあふれたものである。41歳で世を去るがその間の消息は何も伝えられていない。
執筆者:阪下 圭八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
『万葉集』の歌人。天武(てんむ)天皇の皇女。母は天智(てんじ)天皇皇女の大田皇女。大津皇子(おおつのおうじ)の同母姉。大来皇女とも書く。673年伊勢(いせ)の斎宮に定められ翌年下向、686年(朱鳥1)大津皇子の刑死後に帰京(日本書紀)。両親、弟はすでに亡く孤独の余生を送る。『万葉集』に短歌6首が残る。ひそかに伊勢へ訪ねきて京に帰る弟の身を案じながら立ち尽くす作者の姿が鮮やかに浮かび上がってくる「我が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)るとさ夜ふけて暁露(あかときつゆ)に我が立ち濡(ぬ)れし」(巻2)をはじめとして、全作品が弟としての大津皇子に対する深切な愛情を歌い込めた名歌。
[遠藤 宏]
『山崎馨著「大津皇子と大伯皇女」(『万葉集を学ぶ 第2集』所収・1977・有斐閣)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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