大円寺跡(読み)だいえんじあと

日本歴史地名大系 「大円寺跡」の解説

大円寺跡
だいえんじあと

[現在地名]えびの市西川北

馬関田まんがた城跡北西、字迫田さこだにあった。王城山多福院と号し、本尊釈迦如来開山飯野長善いいのちようぜん寺五世大鏡光鑑(応永二年没)、長善寺末寺(三国名勝図会)。江戸時代には寺領一石を与えられていた(三州御治世要覧)。寺内奥の小高い所に高さ約一メートル余の馬関田右衛門佐(右衛門督とも)の墓と伝えられる五輪塔がある。


大円寺跡
だいえんじあと

[現在地名]菊池市竜門 寺小野

寺小野てらおの集落のほぼ中央部、西から延びた山塊の裾部にある。「国誌」は「台宗開基不分明、文覚上人建立」と記し、「菊池風土記」は寿永年間(一一八二―八五)文覚上人の建立と伝える。小国の満願おぐにのまんがん(現阿蘇郡南小国町)宛の年未詳四月九日付大友義統書状(満願寺文書)に「菊池郡之内大円寺拾弐町分之事、預進之候」とみえる。同日付と思われる志賀道輝書状(同文書)によると同地に関して満願寺から訴訟があったことがうかがえる。「一統志」に「寺尾山大円寺者安大日如来釈迦観音愛染不動毘沙門像鎮守阿蘇松尾白山妙理春日客人熱田気多八王子也」とある。


大円寺跡
だいえんじあと

[現在地名]美山町岩佐

武儀むぎ川右岸、富永とみながから川沿いに南東へ延びる小山中腹にあり、明光山と号し、白山神社別当寺であった。創建年は不明だが、文政三年(一八二〇)の岩佐村記録帳(吉田文書)によれば、元禄八年(一六九五)にはすでに存在しており、宝暦九年(一七五九)には寺内に十王堂や稲荷社があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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