大原幽学遺跡(読み)おおはらゆうがくいせき

日本歴史地名大系 「大原幽学遺跡」の解説

大原幽学遺跡
おおはらゆうがくいせき

[現在地名]干潟町長部

幽学は江戸時代後期に香取郡を中心に農村の復興を目指した実践的思想家。寛政九年(一七九七)に尾張徳川家の家臣の家に生れたといわれる。安政五年(一八五八)遺書(「遺書下書」干潟町教育委員会蔵)によると、文化一一年(一八一四)に一八歳で漂泊の旅に出、おもに西日本を遊歴した。その間に易学・医学や農業などのちの思想の基盤となるような広範囲に及ぶ知識・技術を身につけたようである。文政一三年(一八三〇)信州上田うえだ(現長野県上田市)へ入り農村復興を目指した活動を開始、さらに江戸・相模浦賀を経て、天保一三年(一八四二)長部ながべ村に定住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「大原幽学遺跡」の解説

おおはらゆうがくいせき【大原幽学遺跡】


千葉県旭市長部にある住居跡。指定名称は「大原幽学遺跡 旧宅墓および宅地耕地地割(きゅうたくはかおよびたくちこうちじわり)」。九十九里浜を望む丘陵地にあり、江戸時代末期の農村指導者大原幽学(1797~1858年)自身による設計の旧宅を中心に、墓、宅地、耕地地割が一括して遺存し、1952年(昭和27)に国の史跡に指定された。幽学は、1831年(天保2)に房総を訪れ、以後長部(ながべ)村(現同市長部)を拠点に、道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、農民の教化と農村改革運動を指導。農業協同組合である先祖株(せんぞかぶ)組合をはじめ、農民が自活できるように各種の実践手法を行ったが、幕府嫌疑を受け、失意のうちに1858年(安政5)に自害。旧宅は台地の縁辺にあり、山林に土地を切り開いて営まれ、平屋建て8畳2間に台所を設けた簡素な建物で、1区角あたりの大きさを整理し、水路をつけた耕地地割が残され、1989年(平成1)に一帯は史跡公園として開園した。JR総武本線旭駅から千葉交通バス「中和」下車、徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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