大学事典 「大学統合」の解説
大学統合
だいがくとうごう
二つ以上の大学が統合して一つの大学になることをいう。日本で最初の近代大学である東京大学は,1877年(明治10)に東京開成学校と東京医学校を統合・改組して設立され,86年に工部大学校を統合していることから,日本の大学の歴史そのものが,大学統合によって開始されているともいえる。また,イギリスのロンドン大学も既存のカレッジ等を統合した大学(university)として1836年に設立された。
日本では,第2次世界大戦後の大学改革の中で新制大学が1948年(昭和23)以降発足したが,各都道府県におかれた新制国立大学は,旧制のさまざまな大学や高等教育機関を統合して設立されており,その中には国立の広島大学(統合)のように,旧制の広島文理科大学などを母体に49年に新制大学として設立された後,旧制広島県立医科大学(1948年設立)を母体に,52年に発足した県立の新制広島医科大学を53年に医学部として統合した例も存在する。
[東アジアおよび世界の大学統合]
これらの日本の大学統合の動きは,東アジアや世界の動きと連動して起きている。戦前から1949年の中華人民共和国成立に至る中国の大学統合は,日中戦争のなかで多くの都市が日本の占領下におかれ,大学の移動と統合を余儀なくされた。たとえば北京大学(中国)は,1898年に清朝により京師大学堂(中国)として設立された後,辛亥革命を経て1912年に中華民国のもとで北京大学に改称されたが,37年に長沙に移転し,清華大学・南開大学とともに長沙臨時大学(中国)を構成,その後3大学は38年に昆明に再移転し,西南連合大学(中国)と改称され,雲南大学の一部(教育系)を統合している。
そのうち北京大学医学部は,1923年に北京医科大学校(中国)として専門学校から昇格,27年に北京の高等教育機関を統合した京師大学校の医科となり,28年に同大学が北平大学(中国)に改組,37年に一部は移転して他大学と統合され西安臨時大学(中国),再移転して西北聯合大学(中国)へ参加した。他方で,一部は北京に残り,汪兆銘政権下で北平大学,燕京大学と協和医学院の教員・学生を統合した。1945年に日本が中国から撤退後,北京にあった大学等を再編して北平臨時大学(中国)が成立,46年には西南連合大学の一部となっていた北京大学が北京に戻り,北京大学医学院(中国)となった。さらに1952年には全国の高等教育の再編の中で北京大学から分離し,北京医学院(中国)として独立,85年には北京医科大学(中国)と改称した。なお,中国では2000年前後に旧ソ連などに見られた独立した単科大学を統合して総合大学化する大学統合が進み,北京医科大学は2000年に北京大学と再統合,現在の北京大学医学部となった。同様の総合大学化のための大学統合は,ロシア,ヴェトナムなどにも見られる。
他方,1925年北京公教大学輔仁社(台湾)として発足,27年に中華民国北洋政府の下でカトリック系として設立された輔仁大学(台湾)は,日本占領下および日本撤退後の中華民国下で授業を継続したが,52年北京師範大学等に統合(分割継承)され消滅した。しかし,1960年には台湾に移った中華民国政府の認可を受け復興し,現在は台湾を代表する私立大学となっている。なお,中国系の大学としては,1955年に英植民地支配下で設立された南洋大学(シンガポール)がある。同大学は1963年にシンガポールがマレーシア連邦に参加すると学生・教員の大量逮捕,創設者の市民権剝奪を経験した。さらに,1965年にシンガポールがマレーシア連邦を離脱,68年に同政府により正式に認可されたが,80年にはシンガポール大学に統合された。なお,1981年には南洋大学の流れをくむ南洋理工学院(シンガポール)が設立され,シンガポール大学会計学部や国立教育学院などの統合を経て91年に南洋理工大学(シンガポール)を設立,同大学には96年に旧南洋大学の同窓の役割が移管されている。
21世紀に入ってからの世界的動向としては,世界大学ランキングなどで示される大学の国際競争力強化のための大学統合が活発化しており,イギリス,フランス,デンマーク,フィンランドなどで実行に移されている。
[日本の大学統合とその議論]
日本では戦後安定した政治体制のもとで大学セクターの拡大が続き,帝京大学グループのように,大学統合よりも一つの学校法人や関係する複数の学校法人の間でグループ・ネットワークを構成するあり方のほうが盛んであった。しかし,少子高齢化による若年人口の減少の影響が出始めた21世紀に入り,2004年(平成16)以降の国公立大学の法人化と前後して一定程度の大学統合が行われている。このうち,国立大学に関しては文部科学省などの国の方針,公立大学に関しては地方公共団体の方針が影響を及ぼしているといえるが,各都道府県内での統合が主となっている。国立大学に関しては,2002年の山梨大学と山梨医科大学との統合,2007年の大阪大学と大阪外国語大学の統合などが代表的事例であるが,獣医学教育に関しては2012年に鹿児島大学と山口大学が合同で共同獣医学部(日本)を設立するなど,さらなる再編統合の議論や試みも盛んである。また,公立大学では2005年に県立広島女子大学・広島県立大学・広島県立保健福祉大学の3大学を統合して設立された県立広島大学などの事例が代表的なものといえる。私立の場合,少子化に伴う市場の縮小のほか,ブランディングの観点からも統合が行われることがありうる。代表例としては,慶應義塾大学が2008年に共立薬科大学と統合して薬学部・研究科を設置するなどの例があるほか,2008年に東海大学がグループ大学である九州東海大学と北海道東海大学を統合した例などがある。
大学行政としては,より多数の利用者に対して複数の分野に共通する資源を有効活用する規模の経済・範囲の経済を理論的根拠として,大学のとくに運営面での合理性の観点から大学統合を進めるインセンティブがあり,これは,市場基盤の弱い私立大学の救済策にも適用される。また,とくに他の高等教育機関からの大学昇格が比較的容易であり政策的にも誘導・支援されてきた日本は世界的に見ても極端に小規模な大学が多く,構造的には大学統合が求められる状況が続いている。他方で,それぞれの専門分野の同僚間での意思決定が教育・研究の基盤として残る大学の伝統・属性は,必ずしも大学統合への内的なインセンティブや効果の発現と相いれない。とくに日本の私立大学の場合,立命館大学と立命館アジア太平洋大学やそのほかの多様なグループ校に見られるように,学校法人やそのグループを通じて大学以外の多様な教育機関等と合わせて運営されることが多く,また,地域社会や産業界など大学に関わる利害関係者も多様化していることから,運営主体である学校法人としての統合やグループ化は進んだとしても,運営面の必要性で大学を統合するインセンティブは働きにくい構造にある。
著者: 米澤彰純
参考文献: Hayhoe, R., Li, J., Lin, J., & Zha, Q., Portraits of 21st Century Chinese Universities: In the Move to Mass Higher Education, Springer, 2012.
参考文献: フィリップ・G. アルトバック,馬越徹編,北村友人監訳『アジアの高等教育改革』玉川大学出版部,2006.
参考文献: 田村慶子『多民族国家シンガポールの政治と言語―「消滅」した南洋大学の25年』明石書店,2013.
参考文献: Altbach, P. G., & Salmi, J.(eds.), The road to academic excellence: The making of world-class research universities, World Bank Publications, 2011.
参考文献: 羽田貴史「縮減期の高等教育政策―大学統合・再編に関する一考察」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』85号,2002.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報