大来佐武郎(読み)オオキタ サブロウ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大来佐武郎」の解説

大来 佐武郎
オオキタ サブロウ*


専攻分野
経済問題,資源・人口問題

肩書
元・外相,国際大学名誉学長

生年月日
大正3年11月3日

出生地
旧満州・大連

学歴
東京帝国大学工学部電気工学科〔昭和12年〕卒

学位
経済学博士

経歴
昭和12年逓信省入省。興亜院(のちの大東亜省)に出向戦後、経済安定本部調査課長などを経て、27年エカフェ事務局勤務。帰国後経済企画庁に入庁、32年同庁総合計画局長となり、国民所得倍増計画策定を担当。38年同庁退官。この間、23〜26年「経済白書」を執筆。その後、39年日本経済研究センター初代理事長、48年海外経済協力基金総裁を経て、54年第2次大平内閣で外相に就任、民間人外相として話題となった。56年内外政策研究会会長、外務省顧問、57年国際大学学長となり、62年総長に。対外経済協力審議会会長などをつとめ、国際的エコノミストとして活躍著書に「八方破れの経済戦略」「世界経済診断」「エコノミスト外相252日」「日本官僚事情」「資源のない国日本と世界」「21世紀に向けての日本の役割」などがある。平成7年大来佐武郎記念賞が創設された。

所属団体
経済政策学会 計画行政学会 世界自然保護基金(日本委員会会長) 日本ユニセフ協会(会長)

受賞
マグサイサイ賞 西ドイツ大功労十字星章 コンパニオン・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーストラリア勲章〔昭和60年〕 勲一等旭日大綬章〔昭和61年〕,ブリタニカ賞(第2回)〔昭和62年〕,フィリピン大学名誉法学博士〔昭和62年〕,ミシガン大学名誉法学博士,白象一等勲章(タイ)〔平成1年〕,ハワイ大学名誉人文学博士,アジア工科大学名誉工学博士,サン・マルティン大学十字章(アルゼンチン)〔平成2年〕,インディラ・ガンジー平和・軍縮・開発賞〔平成4年〕,東洋経済賞(第4回・特別賞)〔平成5年〕

趣味
読書 ゴルフ

没年月日
平成5年2月9日

家族
息子=大来 洋一(経済企画庁調査局内国調査第一課長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大来佐武郎」の解説

大来 佐武郎
オオキタ サブロウ

昭和・平成期のエコノミスト 国際大学名誉学長;元・外相。



生年
大正3(1914)年11月3日

没年
平成5(1993)年2月9日

出生地
旧満州・大連

学歴〔年〕
東京帝国大学工学部電気工学科〔昭和12年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

主な受賞名〔年〕
マグサイサイ賞,西ドイツ大功労十字星章,コンパニオン・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーストラリア勲章〔昭和60年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和61年〕,ブリタニカ賞(第2回)〔昭和62年〕,フィリピン大学名誉法学博士〔昭和62年〕,ミシガン大学名誉法学博士,白象一等勲章(タイ)〔平成1年〕,ハワイ大学名誉人文学博士,アジア工科大学名誉工学博士,サン・マルティン大学十字章(アルゼンチン)〔平成2年〕,インディラ・ガンジー平和・軍縮・開発賞〔平成4年〕,東洋経済賞(第4回・特別賞)〔平成5年〕

経歴
昭和12年逓信省入省。興亜院(のちの大東亜省)に出向。戦後、経済安定本部調査課長などを経て、27年エカフェ事務局勤務。帰国後経済企画庁に入庁、32年同庁総合計画局長となり、国民所得倍増計画策定を担当。38年同庁退官。この間、23〜26年「経済白書」を執筆。その後、39年日本経済研究センター初代理事長、48年海外経済協力基金総裁を経て、54年第2次大平内閣で外相に就任、民間人外相として話題となった。56年内外政策研究会会長、外務省顧問、57年国際大学学長となり、62年総長に。対外経済協力審議会会長などをつとめ、国際的エコノミストとして活躍。著書に「八方破れの経済戦略」「世界経済診断」「エコノミスト外相252日」「日本官僚事情」「資源のない国日本と世界」「21世紀に向けての日本の役割」などがある。平成7年大来佐武郎記念賞が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大来佐武郎」の意味・わかりやすい解説

大来佐武郎
おおきたさぶろう

[生]1914.11.3. 中国,大連
[没]1993.2.9. 東京
エコノミスト。 1937年,東京大学工学部を卒業後,逓信省に入省。大東亜省を経て第2次世界大戦後,外務省調査局に転じる。戦後問題をテーマに会合を組織し,報告書「日本経済再建の諸問題」をまとめた。その後経済安定本部 (現経済企画庁) に移り,第2~5回の『経済白書』を執筆,60年には池田内閣のもとで「国民所得倍増計画」を作成した。 52年国連アジア極東経済委員会の職員としてバンコクに赴任。 63年退官,翌年には日本経済研究センターの初代理事長に就任,79年には大平内閣の外相として入閣した。このほか多くの国際会議の主要メンバーとして活躍し,そのすぐれた洞察力とバランスのとれた考え方は国内外から高く評価された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大来佐武郎」の意味・わかりやすい解説

大来佐武郎
おおきたさぶろう
(1914―1993)

エコノミスト。中国、大連(だいれん)市生まれ。東京帝国大学工学部卒業。逓信(ていしん)省に入り、その後興亜院(後の大東亜省)で生産力の面から日本の戦争遂行能力を研究、敗戦は必至との結論を抱く。終戦直後、外務省技師として外務省特別調査委員会に参加、有沢広巳(ひろみ)ら代表的経済学者とともに『日本経済再建の基本問題』作成にかかわる。1947年(昭和22)経済安定本部調査課長となり『経済白書』の執筆の中心となる。1960年経済企画庁総合計画局長として所得倍増計画を策定。1979年大平正芳(まさよし)内閣の外相、また鈴木善幸(ぜんこう)内閣でも対外経済関係担当政府代表となる。初代国連大学学長も務めた。1993年2月9日没。

[伊藤 悟]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大来佐武郎」の解説

大来佐武郎 おおきた-さぶろう

1914-1993 昭和-平成時代の官僚,経済学者。
大正3年11月3日中国大連生まれ。昭和22年経済安定本部(のち経企庁)調査課長。「経済白書」の執筆や所得倍増計画などの立案にあたった。38年総合開発局長で退官後は日本経済研究センター初代理事長,海外経済協力基金総裁。国際的エコノミストとして活躍した。54年第2次大平内閣外相。平成5年2月9日死去。78歳。東京帝大卒。
【格言など】専門分野以外には疎いというのは「知」のアンバランスであって威張れたことではない

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大来佐武郎」の解説

大来 佐武郎 (おおきた さぶろう)

生年月日:1914年11月3日
昭和時代;平成時代のエコノミスト;官僚。内外政策研究会会長;国際大学総長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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