デジタル大辞泉 「太安万侶」の意味・読み・例文・類語 おお‐の‐やすまろ〔おほ‐〕【太安万侶/太安麻呂】 [?~723]奈良前期の文人。民部卿。稗田阿礼ひえだのあれが誦習した旧辞を筆録して、3巻からなる古事記を完成させた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「太安万侶」の意味・読み・例文・類語 おお‐の‐やすまろおほ‥【太安万侶・太安麻呂】 奈良前期の学者。民部卿。和銅四年(七一一)元明天皇の命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習した帝紀や本辞を再編して、「古事記」三巻を撰進。また、養老四年(七二〇)舎人親王(とねりしんのう)のもとで、「日本書紀」の撰進にも参加したともいわれる。昭和五四年(一九七九)に墓誌が発掘された。養老七年(七二三)没。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「太安万侶」の解説 太安万侶 没年:養老7.7.6(723.8.11) 生年:生年不詳 奈良時代の官人。名は安麻呂とも書く。『古事記』の編纂者。『続日本紀』は養老7(723)年7月7日条に死去を記すが,昭和54(1979)年に奈良市田原町で出土した墓誌には「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安万侶,癸亥の年七月六日を以て卒す。養老七年十二月十五日乙巳」とある。没日が1日ずれるのは暦の相違によるらしい。12月15日は埋葬月日。父は壬申の乱(672)に功績のあった多品治。『新撰姓氏録』などによれば,太(多)氏の祖は神武天皇の皇子神八井耳命という。大和国十市郡飫富郷(奈良県田原本町多)に太氏の本拠地があった。『古事記』の序文によれば,和銅4(711)年9月,元明天皇の命で『古事記』の編纂に着手し,天武朝に稗田阿礼が誦習した帝紀や旧辞を再整理し,翌年1月に書物として完成した。安万侶はエディター(編集者)であり,ライター(書き手)ではなかった。霊亀2(716)年に太氏の氏長に任命されている。一介の中級官人であったが,『古事記』を世に送り出したことで,不朽の名を残した。<参考文献>西郷信綱『古事記研究』 (西條勉) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
旺文社日本史事典 三訂版 「太安万侶」の解説 太安万侶おおのやすまろ ?〜723奈良時代の官人・文人。『古事記』の撰録者名は「安麻呂」とも書く。稗田阿礼 (ひえだのあれ) が誦んだ『帝紀』『旧辞 (きゆうじ) 』を,711年元明天皇の勅命で筆録し,翌712年『古事記』を完成。舎人 (とねり) 親王を総裁とする『日本書紀』の撰修にも活躍した。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報 Sponserd by