《古事記》編纂に関与した人物。生没年不詳。同書序文によれば,天武天皇が天皇家の縁起譚としての《古事記》の編纂を企図し,資料としての〈帝紀・旧辞〉を舎人稗田阿礼に〈誦習〉せしめたが,このときは完成しなかった。三十数年後に元明天皇の詔を受け太安麻呂(おおのやすまろ)が完成させたという。
序文に舎人とあるため,阿礼は男性であったとされる一方,江戸時代からすでに女性説がとなえられてきた。この論争はいまだに続いているが,アレという語が神の誕生を意味する古語で,それに立ち会う巫女の名にふさわしいこと,《古事記》にはあきらかに巫女の霊能への共感が示されていることなどの理由から巫女とみるべきだろう。さらに平安朝のものとはいえ,阿礼が天鈿女(あめのうずめ)命の後裔(こうえい)であるとする資料(《弘仁私記》序)も見逃せない。アメノウズメは,天の岩屋戸神話,天孫降臨神話などでシャーマン的な能力を発揮した女神で,猿女(さるめ)氏の祖である。猿女とは古くは原始的呪的伝統をひく〈をこ〉(滑稽)なる歌舞をもって宮廷神事に仕えた巫女で,アメノウズメの話はその職掌起源譚であった。稗田姓は大和国添上郡の地名にもとづくもので,猿女氏と稗田氏は同族であったと考えられる。また平安朝に猿女と同じく縫殿寮に属していた稗田氏出身の女官職は,オバからメイへと継承されていた。これは生涯独身で過ごす巫女職の継承法であった。これらを考え合わせると,稗田阿礼は猿女に属する巫女であり,その由縁をもって《古事記》編纂にかかわったと考えるのが妥当である。《古事記》編纂に巫女が関与したのは,これが本質的には文字以前に属する神話であったからである。語り伝えられることを本義とする神話を,語りごととして表現し定着させることが,〈誦習〉という仕事であったと思われる。《古事記》上巻の一部に,発音に関する注が付してあることが,その一証となる。
執筆者:倉塚 曄子
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生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人。大和(やまと)国添上郡(そうのかみのこおり)薭田邑(ひえだむら)(奈良市南稗田)の出身。天岩戸(あめのいわと)神話で有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)の後裔(こうえい)猿女君(さるめのきみ)の族で、天武(てんむ)朝に舎人(とねり)として仕えた。「人となり聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)るれば心に勒(しる)す」(『古事記』序)ほどであったが、天武天皇は、諸家に伝える帝紀(ていき)と旧辞(くじ)を正して後世に伝えんとし、阿礼に勅語して「帝皇日継(ていおうのひつぎ)」と「先代旧辞」を誦み習わしめた。阿礼は時に年28であった。しかし、天武天皇の没後、その事業はそのままに打ち捨てられたので、元明(げんめい)天皇はこれを惜しみ、711年(和銅4)9月太安麻呂(おおのやすまろ)に詔して、阿礼が誦み習った勅語の旧辞を撰録(せんろく)して献上させた。安麻呂は詔命を受けて鋭意筆を進め、翌年正月に至って完成奏上の運びとなった。これが『古事記』である(同序)。なお、阿礼が代々女孺(にょうじゅ)(下級女官)を貢する猿女氏の出なので、女性とみる説があるが、「舎人」とあるからは男性であろう。
[黛 弘道]
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(西條勉)
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654?~?
7~8世紀の人。諸家に伝わる「帝紀」や「旧辞(きゅうじ)」を整理編修しようとした天武天皇は,舎人(とねり)であった阿礼に命じ,それらを「誦習」させたという。時に28歳。阿礼が選ばれたのは,生まれつき聡明で,どんな文もみればすぐに音読し,1度聞けば2度と忘れなかったためであった。したがって編修そのものにたずさわったわけではなかったと考えられる。天武天皇が没したため作業は完了しなかったが,711年(和銅4)元明天皇が太安麻呂(おおのやすまろ)に命じて阿礼の誦習の成果を撰録させ,翌年に「古事記」として完成した。稗田氏は天鈿女(あめのうずめ)命を祖とする猿女(さるめ)君氏の一族で,大和国添上郡稗田(現,奈良県大和郡山市稗田町)を本拠とした。阿礼を女性とする説があるが誤り。
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…これらの話から,ウズメとサルタヒコは兄妹であったこと,つまりウズメは原始的呪力をもち,兄弟と一族を共治していた(ヒメ・ヒコ制)伊勢土着のシャーマンであり,それが召し上げられ,宮廷神事に奉仕するに至ったらしいことがうかがえる。なお《弘仁私記》序に,《古事記》編纂に関与した稗田阿礼(ひえだのあれ)はアメノウズメの裔とある。阿礼の素姓を考えるのに参考になる。…
…《古事記》の編纂事情を語るのは序文だけである。それによると,天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に資料となる〈帝紀・旧辞〉を誦習させたが,完成せず,三十数年後,元明天皇の詔をうけて太安麻呂(おおのやすまろ)がこれらを筆録し,712年(和銅5)正月に献上したとある。稗田阿礼は男性であったとする説もあるが,神の誕生を意味するアレという名や《古事記》の内容からして,巫女とみた方がよい。…
※「稗田阿礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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