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稗田阿礼 ひえだのあれ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

稗田阿礼
ひえだのあれ

古代,天武朝の舎人 (とねり) 。『古事記』の序によると,『帝紀』『旧辞』の誤り伝えられることを憂えた天武天皇は,舎人の阿礼にこれらを「誦習」させた。そのとき阿礼は 28歳,きわめて聡明であった。

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デジタル大辞泉の解説

ひえだ‐の‐あれ【稗田阿礼】

天武天皇舎人(とねり)。天武天皇の命で帝紀と先代の旧辞(きゅうじ)とを誦習し、和銅4年(711)元明天皇の命で太安万侶(おおのやすまろ)がこれを撰録して古事記が編まれた。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

稗田阿礼【ひえだのあれ】

猿女(さるめ)君の支流と伝える舎人(とねり)。生没年不詳。記憶力にすぐれ,天武天皇の命で〈帝紀〉〈旧辞〉を誦習(しょうしゅう),これを元明(げんめい)天皇のとき太安麻侶(おおのやすまろ)が筆録したのが《古事記》だという。
→関連項目語り部帝紀

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

稗田阿礼 ひえだの-あれ

?-? 飛鳥(あすか)時代の官人。
猿女君(さるめのきみ)氏出身の舎人(とねり)。女性とする説もある。記憶力にすぐれ,28歳のとき天武天皇の命により「帝皇日継」「先代旧辞(くじ)」を誦習(しょうしゅう)した。三十数年後の和銅5年(712)元明天皇の詔をうけた太安麻呂(おおの-やすまろ)が,その内容を筆録して「古事記」を完成したとされる。大和(やまと)(奈良県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

稗田阿礼

生年:生没年不詳
『古事記』の原資料となった「帝皇日継」「先代旧辞」の誦習者。性別不明。『古事記』の序文に登場するだけで,それによれば,天武天皇は,諸家の所有する「帝紀」「旧辞」に多くの誤りがあったので,それを正しく改めて後世に伝えようと決意した。時に稗田阿礼という28歳の聡明な舎人がいた。この人物は目に見れば口に誦み,耳に触れれば記憶にとどめた。天皇は阿礼に命じて「帝皇日継」と「先代旧辞」を誦み習わせたが,天皇自身の死でその決意は実現しなかったという。誦習とはテクストを諳じて誦むことで,そのように誦み伝えられた文献は,元明天皇の時代に太安万侶の編集を経て世に出された。稗田氏は天鈿女命を祖とする猿女君の一族とされ,阿礼を女性とする説があるが,序文から性別を判断するのは難しい。『古事記』成立の鍵を握る正体不明の人物で,その実像は謎に包まれている。<参考文献>三谷栄一『古事記成立の研究』

(西條勉)

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世界大百科事典 第2版の解説

ひえだのあれ【稗田阿礼】

古事記》編纂に関与した人物。生没年不詳。同書序文によれば,天武天皇が天皇家の縁起譚としての《古事記》の編纂を企図し,資料としての〈帝紀・旧辞〉を舎人稗田阿礼に〈誦習〉せしめたが,このときは完成しなかった。三十数年後に元明天皇の詔を受け太安麻呂(おおのやすまろ)が完成させたという。 序文に舎人とあるため,阿礼は男性であったとされる一方,江戸時代からすでに女性説がとなえられてきた。この論争はいまだに続いているが,アレという語が神の誕生を意味する古語で,それに立ち会う巫女の名にふさわしいこと,《古事記》にはあきらかに巫女の霊能への共感が示されていることなどの理由から巫女とみるべきだろう。

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大辞林 第三版の解説

ひえだのあれ【稗田阿礼】

天武天皇の舎人とねり。文字・文章の読解力・記憶力に優れ、帝皇日継・先代旧辞の誦習を命ぜられた。のちに太安万侶おおのやすまろが、元明天皇の命によりこれを撰録して古事記とした。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

稗田阿礼
ひえだのあれ

生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人。大和(やまと)国添上郡(そうのかみのこおり)田邑(ひえだむら)(奈良市南稗田)の出身。天岩戸(あめのいわと)神話で有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)の後裔(こうえい)猿女君(さるめのきみ)の族で、天武(てんむ)朝に舎人(とねり)として仕えた。「人となり聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)るれば心に勒(しる)す」(『古事記』序)ほどであったが、天武天皇は、諸家に伝える帝紀(ていき)と旧辞(くじ)を正して後世に伝えんとし、阿礼に勅語して「帝皇日継(ていおうのひつぎ)」と「先代旧辞」を誦み習わしめた。阿礼は時に年28であった。しかし、天武天皇の没後、その事業はそのままに打ち捨てられたので、元明(げんめい)天皇はこれを惜しみ、711年(和銅4)9月太安麻呂(おおのやすまろ)に詔して、阿礼が誦み習った勅語の旧辞を撰録(せんろく)して献上させた。安麻呂は詔命を受けて鋭意筆を進め、翌年正月に至って完成奏上の運びとなった。これが『古事記』である(同序)。なお、阿礼が代々女孺(にょうじゅ)(下級女官)を貢する猿女氏の出なので、女性とみる説があるが、「舎人」とあるからは男性であろう。[黛 弘道]

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世界大百科事典内の稗田阿礼の言及

【天鈿女命】より

…これらの話から,ウズメとサルタヒコは兄妹であったこと,つまりウズメは原始的呪力をもち,兄弟と一族を共治していた(ヒメ・ヒコ制)伊勢土着のシャーマンであり,それが召し上げられ,宮廷神事に奉仕するに至ったらしいことがうかがえる。なお《弘仁私記》序に,《古事記》編纂に関与した稗田阿礼(ひえだのあれ)はアメノウズメの裔とある。阿礼の素姓を考えるのに参考になる。…

【古事記】より

…《古事記》の編纂事情を語るのは序文だけである。それによると,天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に資料となる〈帝紀・旧辞〉を誦習させたが,完成せず,三十数年後,元明天皇の詔をうけて太安麻呂(おおのやすまろ)がこれらを筆録し,712年(和銅5)正月に献上したとある。稗田阿礼は男性であったとする説もあるが,神の誕生を意味するアレという名や《古事記》の内容からして,巫女とみた方がよい。…

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