元来は1980年代の中南米の経済状況について使われたことばであるが、90年代末ごろから、日本の90年代をさすことばとして転用されるようになった。80年代の中南米諸国は、多くの国でマイナス成長、ハイパー・インフレーション、失業の急増にみまわれた。原因は、70年代の開発ブームが終焉(しゅうえん)し、80年代初めに海外資本が流出、債務危機に陥ったことにある。経済が安定を取り戻し、海外投資が回復するまでほとんど10年を費やした。その間、経済面ではなにも達成できなかったという意味で、「失われた十年」とよばれた。
日本の「失われた十年」では、1980年代後半の過大な金融緩和が過剰投資、とくに不動産投機を生み、それが地価、株価の急騰、過剰な貸出、投資に結び付き、いわゆるバブル経済をもたらした。しかしその後、地価も株価もバブル以前の水準に下落した。91年(平成3)から2001年までの10年間で、実質国内総生産(GDP)の年平均成長率は1%余り、名目GDPの成長率は1%以下でしかなかった。それ以前、80年代後半のバブル期を除いても実質GDPが3~4%で成長してきたこれまでの日本の経済成果から考えれば、「失われた十年」というに値するだろう。
1990年代以降の日本経済の長期停滞の要因については多くの議論がある。過大な金融緩和によってもたらされたバブル期の過剰な貸出が不良債権となり、過大な投資が過剰設備となったことが経済を長期にわたって停滞させた一つの要因であることは確かであるが、それが10年以上に及ぶことは説明しがたい現象である。中南米の「失われた十年」も、実際には10年も続かず、80年代末には多くの国で回復がみられた。80年代末には、北欧諸国などでも地価の高騰と過剰投資というバブル経済を経験したが、いずれの国も数年で元の成長軌道に戻っている。日本の場合、経済停滞はすでに10年を超えて長期化し、これまでの成長軌道に戻る兆しはみえない。
1990年代以降、先進工業国のなかで、日本だけが成長率を大きく低下させた要因として、構造要因説、財政政策要因説、不良債権要因説、金融政策要因説などがある。構造要因説とは、日本がなすべき構造改革を行わなかったがゆえに経済が停滞したという説であるが、日本だけが行わなかった構造改革がなんであり、それが大きく経済効率を低下させる要因であるのかが、かならずしも明らかではない。財政政策要因説とは、90年代において景気回復の芽を摘むような抑制的な財政政策が行われてきたからだというものであるが、財政面からの景気刺激策は行われており、90年代初めの、財政政策が拡張的であったときの景気刺激効果は小さく、90年代後半の、抑制したときの景気抑制効果は大きいというのは理解しがたい。また、とくに90年代のヨーロッパにおいて、財政政策が抑制的であったにもかかわらず、停滞が生じていないことからも、十分な説明とはいいがたい。不良債権要因説は、不良債権そのもの、あるいは不良債権が銀行の金融仲介機能を低下させて経済を停滞させたというものである。金融政策要因説とは、バブル崩壊後の90年代前半において金融緩和が不十分で物価下落をもたらしたことが長期の停滞の要因であるというものである。
物価の下落は、さらに物価が下落するだろうという期待を生み、支出を先延ばしにさせ、実質金利を高める。また、過去の名目債務契約の実質価値を高め、資産価格を下落させる。さらに賃金の下方硬直性と衝突して実質賃金を上昇させ、雇用を削減するなどの効果をもつ。過去の債務の実質価値を高めるという効果は、バブル期の債務を実質的に増大させるとともに、物価下落が資産価格を下落させる効果ともあいまって、不良債権処理を困難にする。すなわち、金融政策の失敗は、不良債権処理もまた困難にしたものと考えられる。
「失われた十年」からの脱却策も、上記の要因に基づいてさまざまに議論されているが、具体策についてのコンセンサスは得られていない。
[原田 泰]
『原田泰著『日本の失われた十年』(1999・日本経済新聞社)』▽『野口旭・田中秀臣著『構造改革論の誤解』(2001・東洋経済新報社)』▽『岩田規久男著『デフレの経済学』(2001・東洋経済新報社)』▽『伊藤隆敏、H・パトリック、D・ワインシュタイン編『ポスト平成不況の日本経済』(2005・日本経済新聞社)』▽『下川浩一著『「失われた十年」は乗り越えられたか』(中公新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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