構造改革論(読み)こうぞうかいかくろん(英語表記)riforma strutturale イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ)「構造改革論」の解説

構造改革論
こうぞうかいかくろん
riforma strutturale イタリア語
structural reform 英語

20世紀中葉以降の資本主義が社会主義に接近する一形態として理論化された政治路線。広義には、独占資本のヘゲモニー下にある社会構造全体を民主主義的に革新することを通じて、社会主義革命の主体的条件の成熟を、その客観的条件の創出とともに追求することを意味する。狭義には、独占の経済政策などを広範な大衆闘争を背景に国民生活本位のものへ転換させ、資本主義の枠内にある経済的構造を部分的に変革し、社会主義革命を日程に上らせうる状況をつくりだすことを意味する。反独占民主主義闘争を掲げる民主的計画の実現の路線ともいわれる。原理的には、資本主義社会の根本矛盾、すなわち、生産の社会化と私的所有との矛盾の発現形態を社会構造全体のうちに確認しつつ、社会化の契機を民主主義の拡大と結合し、矛盾の深化を変革主体自身の社会構造への積極的な介入過程としてとらえるところに成立する。したがって、構造改革論は、労働者階級を中心とする諸勢力による国家権力の獲得、つまり社会主義革命を究極目標とする点では、マルクス主義的な革命論の一つであるが、ソビエト型のプロレタリア独裁に革命の試金石を求め、革命と、経済的な要求闘争などに具体化される日常闘争、つまり改良とを対置させがちな革命論に比べると、資本主義のもとでの改良を重視し、改良と革命との媒介を主題化することを通じて、反独占の立場にたつ諸階層の統合を目ざし、社会主義への平和的移行を強調した革命論だといえる。改良重視という点は、階級闘争を資本主義の枠内に押しとどめたり、国家権力の問題をあいまいにしたりする可能性をもつとはいえ、独占の支配がもたらす社会的諸矛盾の表層を、その立体的構造とメカニズムにまで踏み込んでとらえることを焦点に据えるため、階級闘争に日常的具体性を与える点で、積極的な意味をもつ。同時に、独占資本主義のもとにおける民主主義発展を社会主義革命に連動させる点でも意義深い。

[竹内章郎・石井伸男]

歴史的位置

構造改革論が歴史の表舞台に登場したのは、1956年のイタリア共産党第8回大会が採択した「綱領的宣言要綱」に含まれる「社会主義へのイタリアの道」においてであるが、その背景には、人民戦線時代の経験やスペインにおける共和国家の樹立、イタリアの反ファッショ国民解放戦争とその成果としてのブルジョア民主主義を超える進歩的内容をもつ共和国憲法の成立のほか、南北対立をはじめとするイタリア社会の重層的矛盾構造、この矛盾を累積する独占資本の支配と国民の困難な日常生活とが直結している状況があった。つまり、一方に、労働者階級にとどまらない変革主体の量的・質的発展があり、他方に、現体制下での諸矛盾を社会主義革命達成まで放置しえず、それゆえ、部分的改良を切実なものとする状況があった。「新しい民主的多数派」の提起や、カトリック大衆までも含めた「歴史的妥協」、「民主主義と社会主義との有機的統一」といった構想も、こうした点から理解される。

 日本では、スターリン批判など国際共産主義運動の多様化と関連しながら、イタリアでの議論が先進資本主義国の新たな革命路線として紹介され、構造改革論が提起され始めたが、政治的には、1960年(昭和35)の日本社会党臨時党大会の採択した運動方針が、明確に構造改革を打ち出した。しかし、高度成長期であったことと、これの評価の混乱などから、日本の構造改革論は体制内化する傾向が強く、同党自身も、64年党大会が採択した「日本における社会主義への道」では、この路線を退けるに至った。また、イタリアにおいては、60年代を通じての労働組合運動における統一行動の蓄積と、69年の「イタリアの熱い秋」以降の新たな運動主体の形成との結合により、構造改革論の精緻(せいち)化が進んだのに比べると、日本の構造改革論は、政党間論争を生み、政策論レベルに終始したため、社会変革論の中軸にはなりえなかった。

[竹内章郎・石井伸男]

批判的論点

保守的潮流からの、議会政治を否定するものであり、人民戦線結成の隠蔽(いんぺい)であるという批判のほか、革新的陣営からは、(1)生産の社会化を強調する改良重視は、事実上、資本主義の根本矛盾の否定となる、(2)経済に対する国家の介入に民主的計画を結び付けることは、社会主義の開始を国家独占資本主義自体にみいだす誤りとなる、(3)以上のことは、労働者階級による支配権力の打倒なしに、なし崩し的な社会主義への移行が可能であるかのような幻想を生む、(4)したがって、外国帝国主義との闘争の軽視と相まって、構造改革論は、国民を改良闘争にのみ導き、革命的エネルギーを消散させる現代修正主義にほかならない、といった批判がなされた。しかし、構造改革論の提起した構想や論点の多くは、事実上、1970年代に先進国革命を目ざした諸勢力の路線やユーロコミュニズムの戦略のうちに取り入れられ、生かされてきたといえる。ソ連邦崩壊を経た90年代では、構造改革論は表だって主張されてはいない。しかし「オリーブの木」連合によって政権に参加したイタリア左翼民主党などの政策は、実質上この路線の継承であるともみられる。

[竹内章郎・石井伸男]

『佐藤昇著『現代帝国主義と構造改革』(1961・青木書店)』『長洲一二著『現代と資本主義』(1965・日本評論社)』『『「構造改革論」批判』(1966・日本共産党中央委員会出版部)』『山本二三丸著『構造改革論批判』(1976・青木書店)』『後房雄著『「オリーブの木」政権戦略』(1998・大村書店)』『アニー・クリーゲル他著『ユーロコミュニズム』(岩波新書)』『田中良明著『パルブスと先進国革命』(1989・梓出版社)』『『トリアッティ選集』全3巻(1980・合同出版)』『後房雄著『大転換』(1991・窓社)』

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百科事典マイペディア「構造改革論」の解説

構造改革論【こうぞうかいかくろん】

現代の先進的資本主義国における社会主義的変革の新理論。独占資本主義の政治・経済構造を,労働者階級を中心とする国民諸階級の反独占運動の圧力によって改革し,同時に議会内では社会主義政党が独占資本の行動を規制する政策を立法化し,議会でも多数を占め,両者相まって社会主義への移行を実現しようとする考え方。1956年のスターリン批判後,イタリア共産党トリアッティらによって提唱された。日本では1960年の安保闘争の後,〈構造改革論争〉としてとりあげられたが,〈修正主義〉〈改良主義〉という評価にとどまった。→ユーロコミュニズム
→関連項目社会民主主義

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デジタル大辞泉「構造改革論」の解説

こうぞう‐かいかくろん〔コウザウ‐〕【構造改革論】

資本主義が高度に発達した国において、社会主義に移行するための政治理論の一。労働者階級が国家権力を掌握する以前の段階でも大衆運動議会主義により、独占資本の経済構造を部分的、段階的に変革しながら社会主義の実現を目ざそうとする考え。1956年、イタリア共産党トリアッティによって提起された。

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精選版 日本国語大辞典「構造改革論」の解説

こうぞう‐かいかくろん コウザウ‥【構造改革論】

〘名〙 資本主義社会の経済構造の部分的な改革をまずかちとることによって、広範な国民大衆の支持のもとに社会主義社会の実現をめざそうとする立場。一九五六年イタリア共産党のトリアッチが資本主義国から社会主義国への平和的移行の方策として提起したのに始まる。

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世界大百科事典 第2版「構造改革論」の解説

こうぞうかいかくろん【構造改革論 riforme strutturali[イタリア]】

狭義には,1950年代後半から60年代にかけて,イタリア共産党を中心に発展した現代社会主義革命の戦略論をいう。これが目ざしたのは,国家独占資本主義と呼ばれる高度に発達した資本主義社会に適応しうる変革であり,またそれを担う主体の形成である。構造改革論は,社会主義・共産主義運動の歴史の中で明らかになった克服すべきいくつかの問題点を意識している。まずそれは1891年のドイツ社会民主党エルフルト綱領にみられた日常的な改良要求と最終的な革命闘争の分離無媒介という弱点であり,第2にはロシア十月革命に典型的に見られる,二重権力の形成→武力による権力奪取→プロレタリア独裁の樹立,という古典的なボリシェビキ革命の戦略である。

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世界大百科事典内の構造改革論の言及

【トリアッティ】より

…48年,右翼青年の襲撃を受けたが一命をとりとめる。スターリン死後冷戦の緊張状態を緩和した,〈雪どけ〉を背景とした党の第8回大会(1956)で,イタリア社会の構造的諸改革を提案し,従来の革命的変革に代わる構造改革論を打ち出した。この路線は国際共産主義運動の多様化に道を開き,多中心主義の表現を生み出した。…

【マルクス主義】より

…とくにイタリアとフランスでは,第2次大戦中の抵抗運動で共産党が果たした中心的役割の結果として,マルクス主義と共産主義政治運動は大きな威信をえていただけに,マルクス主義の多様化は活発な知的活動を促した。イタリアでは,グラムシの再評価を中心に,理論と実践の両面でソ連型マルクス主義と革命方式を批判し,民主的多数派形式による構造改革論の主張を生んだ。それは,1973年の〈歴史的妥協〉(保守派との妥協による政権獲得)の構想ともなり,ユーロコミュニズムとして先進資本主義国の政治に大きな影響を与えた。…

※「構造改革論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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