江戸時代の装剣金工の一派。家祖を利輝(としてる)(1580―1629)といい、本来は錺職(かざりしょく)であったが、利輝の子利宗(としむね)をもって同派の初代としている。以下利治(としはる)、利永、利光、利勝、利尚(としひさ)、利恒(としつね)と続く。利輝は通称を小左衛門、号は周防(すおう)。1624年(寛永1)幕府に抱えられたが、のちに町の職人として自由に腕を振るい、寛永(かんえい)6年、50歳で没したが、有銘作をみない。初代利宗は正保(しょうほう)~延宝(えんぽう)(1644~81)にかけて活躍し、後年は入道して宗貞と号す。この嫡系は代々小左衛門あるいは七郎左衛門を襲名している。
奈良派はかなり大きな工房であったとみられ、嫡系のほかに奈良を名のる多くの工人が輩出しており、また「奈良」とのみ銘した作品をも多くみる。元禄(げんろく)4年(1691)の「武鑑」には「御ほり物師 奈良八郎左衛門 同小左衛門」の名がみられ、これは後世まで続いている。利永または利治の門人と伝える利寿(としなが)、利治の門人寿永の弟子の杉浦乗意(じょうい)、利治門の辰政(たつまさ)弟子の土屋安親(やすちか)、この利寿・乗意・安親の3人を奈良三作と称している。また利寿の門人には浜野政随(しょうずい)がいる。奈良派の名人といわれるこれらの人々の作品は、人物を主に猛虎(もうこ)など動物をも加えてその表現と鏨(たがね)運びの巧みさに独特な技巧がみられ、世人の高い評価を得た。
[小笠原信夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…代表作に〈大森彦七図鐔〉〈牟礼高松図鐔〉がある。なお江戸初期に発展した奈良派は利輝を祖とし,3代利治の門から辰政,寿永が,辰政門から土屋安親,寿永門から杉浦乗意が出ている。【原田 一敏】。…
※「奈良派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
会社員に扶養されるパートら短時間労働者は年収106万円以上になると厚生年金保険料などの負担が生じて手取りが減る。将来の年金額は手厚くなるが、働き控えを招く「壁」とされ、企業の人手不足の要因となる。厚...