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土屋安親 つちややすちか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土屋安親
つちややすちか

[生]寛文10(1670).庄内
[没]延享1(1744).9.27. 江戸
江戸時代中期の奈良派の装剣金工,土屋家の1世。通称は弥五八,晩年は東雨と号した。初め庄内金工の正阿弥珍久に学び,江戸に出て奈良辰政に学ぶ。「奈良三作」と称された。作域がきわめて広いが,特に鋤彫 (すきぼり) を得意とした。作品は (つば) ,目貫,小柄 (こづか) などで,鐔以外には鉄を用いない。安親は6世まであるが,いずれも1世には及ばなかった。

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デジタル大辞泉の解説

つちや‐やすちか【土屋安親】

[1670~1744]江戸中期の装剣金工家。出羽(でわ)の人。通称、弥五八。晩年、東雨と号す。江戸に出て奈良派の門に入る。特に鐔(つば)を得意とし、多様な技法による雅味豊かな作品を生んだ。奈良三作の一人。

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百科事典マイペディアの解説

土屋安親【つちややすちか】

江戸時代の金工家。通称弥五八。出羽国鶴岡に生れ,正阿弥珍久に師事。34歳の時,江戸に出て奈良辰政に学び,奈良利寿杉浦乗意とともに奈良三作と称された。鐔(つば)など装剣金具の製作に長じ,絵画的な図柄を好んだ。
→関連項目杉浦乗意

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朝日日本歴史人物事典の解説

土屋安親

没年:延享1.9.27(1744.11.1)
生年:寛文10(1670)
江戸中期の装剣金工家。庄内藩士土屋忠左衛門の子。出羽国鶴岡(山形県)生まれ。通称は弥五八。はじめ同郷の正阿弥(佐藤)珍久の門下となり,のちにその娘を妻に迎えた。元禄16(1703)年34歳のときに江戸に出て神田新革屋町に居を構え,珍久の師奈良辰政(奈良派の利寿と同門)に師事した。宝永4(1707)年ごろ信濃国(長野県)諏訪に滞在し,また正徳年間(1711~16)には奥州守山藩(福島県)藩主松平大学頭頼貞に仕え,一時江戸大塚の藩邸に住し,頼貞好みの大学形と呼ばれる刀装具を制作した。奈良利寿,杉浦乗意と共に奈良三作として珍重されたひとりで,そのなかでは最も多く作品を残している。制作は鐔,縁頭,目貫,小柄など多岐にわたり,吟味された素材が工夫された形態と豊富な図柄によく調和している。図柄には絵画的なものと図案的なもののほかに故事を題材としたものもあり,これを象嵌,色絵,鋤出彫り,肉合彫り,高彫り,毛彫り,片切彫りなど技法の限りをつくして表している。代表作に重要文化財「浜松千鳥図鐔」(個人蔵),重要美術品「竜図鐔」(個人蔵),重要文化財「豊干禅師図鐔」(黒川古文化研究所蔵)などがある。享保15(1730)年61歳のときに剃髪し,以後東雨と号した。浅草誓願寺内の林宗院(現在は練馬区に移転)に葬られた。

(加島勝)

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世界大百科事典 第2版の解説

つちややすちか【土屋安親】

1670‐1744(寛文10‐延享1)
江戸時代の装剣金工家。出羽国鶴岡に生まれる。通称を弥五八といい,初め同郷の正阿弥珍久に学び,1703年(元禄16)江戸に出,奈良辰政に入門した。その作は古来奈良利寿杉浦乗意とともに奈良三作と称され,賞美された。奈良三作のうちでは最も多くの作品を残しており,鐔(つば),小柄(こづか),縁頭(ふちがしら),目貫(めぬき)と種類も多く(刀装),形の工夫,地金の扱いに秀でている。画題は中国や日本の故事,自然風景などの絵画風のものから,文字,鶴丸透(すかし)などの図案風なものまで多彩であり,象嵌,色絵,鋤出彫(すきだしぼり),肉合彫(ししあいぼり),高彫,毛彫,片切彫などのあらゆる技法を用い,効果をあげている。

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大辞林 第三版の解説

つちややすちか【土屋安親】

1670~1744) 江戸中期の金工。出羽国庄内の人。通称、弥五八、東雨と号す。江戸に出て奈良派の門に入り、のち、松平頼貞に仕え大成。作域は広く、素銅を主とした作品は佳作が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土屋安親
つちややすちか
(1670―1740)

江戸中期の装剣金工家。出羽(でわ)(山形県)庄内(しょうない)の人。通称および初銘を弥五八、のちに安親を名のり、晩年は東雨(とうう)と号す。初め同郷の佐藤(正阿弥(しょうあみ))珍久(よしひさ)に学び、師の娘をめとったが、1703年(元禄16)34歳のとき単身江戸に出て奈良辰政(たつまさ)に入門、やがて独自の安親風を大成して名をなし、奈良利寿(としなが)、杉浦乗意(じょうい)と並んで奈良三作と称賛された。その作域は鐔(つば)、小柄(こづか)、縁頭(ふちがしら)、目貫(めぬき)などにわたり、素材、画題、構図、技法も多種多彩であるが、いずれも大胆で巧みな構図のなかに細心に計算された練達の技を駆使している。「干網千鳥透鐔」「浜松千鳥図鐔」「豊千禅師図鐔」(いずれも重要文化財)などの代表作がある。晩年は安親の名を2代目に譲り、自らは剃髪(ていはつ)入道したが、安親銘を名のる者は6代まで続いた。[小笠原信夫]

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世界大百科事典内の土屋安親の言及

【鐔∥鍔】より

…横谷宗珉は後藤家流の技法を汲む家に生まれながらその作風にあきたらず,構図に新生面を築いたほか,片切彫を創始し,以後の工人に大きな影響を与えた。また奈良三作の土屋安親,奈良利寿(としなが),杉浦乗意も斬新な意匠と独自の彫技をみせている。安親は鐔の形,意匠に,利寿は雄渾な高肉象嵌・色絵に,また鐔の作は少ないものの乗意は肉合彫の創始者として名工の名をほしいままにした。…

【奈良利寿】より

…通称を太兵衛といい,奈良利治の門人とも奈良利永の門人とも伝える。土屋安親杉浦乗意とならんで,奈良三作の一人に数えられる名工。刀装具の中でも縁頭(ふちがしら)の製作に長じ,鐔(つば)は比較的少ない。…

※「土屋安親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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