けい【奚】
- 〘 名詞 〙 鮮卑族の一つ。四世紀頃からモンゴル東部のラオハ‐ムレン(老哈河)流域に遊牧。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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普及版 字通
「奚」の読み・字形・画数・意味
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奚
けい
Xi; Hsi
古代,東部内モンゴルのラオハ川流域にいたモンゴル系と思われる遊牧民族。鮮卑の別種といわれる。4世紀末,北魏以来庫幕 (こばく) 奚として史上に出現,隋以来奚と称された。契丹に西接し,関係が深かった。7世紀中頃唐に服属したが,しばしば反乱を起した。安史の乱ののち唐の退勢に乗じ一時勢力を伸ばしたが,9世紀後半以後,強勢になった契丹に服し,一部は唐についた。 10世紀に契丹が遼を建てると,これに征服吸収された。唐代には5部に分れていたが,遼代には6部に編成,統制された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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奚
けい
4世紀ごろから、中国、遼寧(りょうねい/リヤオニン)省のラオハ川流域に遊牧し、シラムレン流域の契丹(きったん)族と隣り合っていたモンゴル系の部族。初めは庫莫奚(こばくけい)とよばれていたが、隋(ずい)以後は奚と略称された。7世紀前半から唐に服属したが、8世紀なかばごろに唐の国力が弱まったのに乗じて勢力を伸ばした。唐代には契丹よりも強勢であったが、10世紀初めに契丹に征服され、その地に奚王府が置かれて支配され、11世紀初めには契丹の遼帝国にまったく吸収された。
[菊池俊彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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奚【けい】
東部モンゴリアに4世紀ごろから遊牧していた鮮卑の一族。旧名,庫莫奚(こばくけい)。8世紀後半から勢力を増したが,10世紀契丹(きったん)の遼に征服・吸収された。
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