


五十人」など、多数の奚が用いられており、奚の名が残されている。〔説文〕十下に「大腹なり。大に從ひ、
(けい)の省聲なり。
は籀
(ちうぶん)、系の字なり」とするが、奚を大腹の義に用いた例はない。卜辞や〔周礼〕によって、羌系女奴の名が残されていることを知りうるのである。
・
・谿など十二字を収める。
はその鳴き声を写した擬声語。
・谿は徑(径)の声義と関係があろう。
hyeiは同声。卜文の奚を
に作る字もあり、奚はもと女奴をいう字であった。また奚を疑問副詞に用いるのは何hai、胡ha、曷hat、盍hapと音の通仮によるもので、このうち何・曷は神に祝
してその成就を責める意があり、本来、疑問副詞的な意味をもつ語である。
▶・奚似▶・奚児▶・奚若▶・奚如▶・奚鼠▶・奚奴▶・奚童▶・奚毒▶・奚
▶・奚婢▶・奚落▶・奚隷▶・奚蠡▶出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
4世紀ごろから、中国、遼寧(りょうねい/リヤオニン)省のラオハ川流域に遊牧し、シラムレン流域の契丹(きったん)族と隣り合っていたモンゴル系の部族。初めは庫莫奚(こばくけい)とよばれていたが、隋(ずい)以後は奚と略称された。7世紀前半から唐に服属したが、8世紀なかばごろに唐の国力が弱まったのに乗じて勢力を伸ばした。唐代には契丹よりも強勢であったが、10世紀初めに契丹に征服され、その地に奚王府が置かれて支配され、11世紀初めには契丹の遼帝国にまったく吸収された。
[菊池俊彦]
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