辮髪(読み)べんぱつ(その他表記)biàn fà

精選版 日本国語大辞典 「辮髪」の意味・読み・例文・類語

べん‐ぱつ【辮髪】

  1. 〘 名詞 〙 男の結髪の一種。頭髪の周囲は剃り、中央に残った髪を編んで長く後ろに垂らしたもの。もと満州人の習俗で、清朝時代には中国全域に行なわれた。
    1. [初出の実例]「編髪くみかみぞ。辮髪と同ものぞ」(出典:史記抄(1477)一五)
    2. [その他の文献]〔晉書‐西戎伝・吐谷渾〕

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改訂新版 世界大百科事典 「辮髪」の意味・わかりやすい解説

辮髪 (べんぱつ)
biàn fà

古来,中国の北方に居住した諸民族に固有な男子の髪形。頭髪の一部を残して他をそり落とし,残した部分の頭髪をお下げのように編んで垂らす髪形をいう。たとえば,モンゴル族は前頭と左右両側頭をとどめて左右両耳の後に2個の辮髪を垂らした。満州族後頭部のみに頭髪をとどめ,これを1本に編んで後に垂らした。女真族も満州族と同様の辮髪だったようだ。金(女真族)や元(モンゴル族)の支配を受けた漢民族も辮髪したようだが,とくに徹底して漢民族に強制したのは清(満州族)の場合である。1644年,清は北京入城の翌日に薙髪令ちはつれい)を下して漢民族に辮髪を命じた。〈留頭不留髪,留髪不留頭(首をつないでおきたかったら髪をそって辮髪せよ)〉というわけである。漢民族は当初頑強に抵抗したが,清は違反者に死刑厳罰で臨み,また漢民族もしだいに慣れて辮髪が普及した。19世紀中ごろ,清朝打倒の兵を起こした太平天国は辮髪をやめて頭髪をのばしたので,官憲から〈長髪賊〉と呼ばれた。古来,漢民族の礼制のなかで,服制とともに髪制は厳格なものがあった。清末の漢民族の民族意識の高まりは,かくして辮髪を切ることが,異民族支配への抵抗の象徴となった。たとえば激烈な国粋学者章炳麟(しようへいりん)は,唐才常自立軍を起こした際,断髪してその決意示し,《解辮髪》を著した。《阿Q正伝》をはじめ魯迅の作品には辮髪の象徴的な意味がつねに描かれている。かくて辛亥革命で清が滅び中華民国が成立すると辮髪は廃止されるにいたった。
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普及版 字通 「辮髪」の読み・字形・画数・意味

【辮髪】べんぱつ

編髪。元・倪〔西湖竹枝〕詩 辮髮の女兒、湖邊にみ 能く胡歌を唱(うた)ふ、踏の

字通「辮」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辮髪」の意味・わかりやすい解説

辮髪
べんぱつ
bian-fa; pien-fa

薙髪 (ちはつ) ともいう。古来アジア北方諸民族の間に行われていた男子特有の髪型。後頭部を除く頭髪を剃上げ,残した毛髪を長く伸ばして編み,背後に垂らすが,時代や民族により相違がある。清代に西洋人はピッグテイル pig tailと呼んだ。北方民族が中国を支配した際,中国人にも行わせようとしたが,その徹底を期したのは清朝である。清では順治1 (1644) 年に薙髪令を出し,抵抗が強いために一時保留したが,翌年再び令を出し,違反者をきびしく罰した。このため清代を通じ一般的習俗となったが,清末から反清団体などが長髪によって抵抗の意を示すようになり,辛亥革命の断髪令 (1911) により廃止された。

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百科事典マイペディア 「辮髪」の意味・わかりやすい解説

辮髪【べんぱつ】

中国の北方民族の風習とされる独特の髪形。薙髪(ちはつ)とも。頭髪をそりあげて後頭部のみを丸く残し,これを編んで長くたらす。清朝(満州族)は漢人を支配するにあたってこれを強制し,服従のしるしとした。
→関連項目太平天国張勲

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「辮髪」の解説

辮髪(べんぱつ)

薙髪(ていはつ)ともいう。頭髪を剃りあげ後頭部など一部を残して長くする北方民族の風習。中国を支配した満洲族の清が,服従のしるしとしてこの風習を漢族などに強制したことは史上名高い。

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旺文社世界史事典 三訂版 「辮髪」の解説

辮髪
べんぱつ

男子の頭髪を編んでうしろへたらす風習
古来,アジア北方諸民族間に広く行われ,清朝は中国本土を征服すると薙髪 (ちはつ) (辮髪)令を発し,これを漢民族に強制,帰順のしるしとしたので広く普及した。漢民族の抵抗は潜在し,太平天国はこれをやめた。辛亥革命以後は廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の辮髪の言及

【金】より

…太祖の弟太宗の時代,遼帝を捕らえて遼を滅ぼし(1125),いっぽう対遼同盟を結びながら違約したことを責めて宋都開封を攻陥し,宋の上皇徽宗・皇帝欽宗以下,后妃,皇族,政府要員らを捕らえて本拠にひきあげ,さらに宋の新帝高宗を攻めて江南の地に圧迫し,中国本土の北半を領有した。なお,領内の漢人に,女真人固有の髡髪(こんぱつ)(前頭部を剃って後頭部の髪だけのこす)を強制したことは,後年清が人民に辮髪(べんぱつ)を強制した先例とみられる。 1142年(皇統2),熙宗のとき,淮水(わいすい)・大散関の線をもって金・宋の国境線と定め,宋帝に臣礼をとらせ,歳貢(のち歳幣と改称)の提出を約束させて和睦した。…

【辛亥革命】より

… 革命の成果として誕生した民国では,人々は自由を享受し,未来への希望にもえていた。政党の乱立,新聞の族生はその社会的現象であり,辮髪の剪截,纏足(てんそく)の解放はその個人的表現だった。武昌蜂起1周年に際し,北京では天壇が一般開放されたが,これほど帝国から民国への移行を実感させることはなかったろう。…

※「辮髪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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