イタリアの作家。ダンテ、ペトラルカと並ぶ最大の文学者。叙情詩、叙事詩、長・短編小説、論文など、きわめて多方面に才能を発揮し、ラテン語と俗語(発生期のイタリア語)の両方を駆使して、膨大な作品を書き残した。とりわけ『デカメロン』は枠物語の形式をとり、10日100話の奇想天外な短編物語群によって、チョーサーやシェークスピアをはじめ、後世のヨーロッパ文学に深甚な影響を及ぼした。『デカメロン』は、そのなかにあふれる痛烈な聖職者批判の精神によってボッカチオの価値観が「人間の愛」に置かれていることを示し、同じように激烈な教皇権力批判を「神の愛」に基準を置きながら展開したダンテの『神曲』(神聖な喜劇)に比べ、しばしば『人曲』(人間の喜劇)と称せられる。また、ラテン語を介さずに直接ギリシア語でホメロスなど古典文献を解読しようと志したことにおいて、ペトラルカに劣らぬ、最大の人文主義者でもあった。
ボッカチオの誕生については、トスカナ地方チェルタルド出身の両替商であった父親が、商用でパリに滞在(1310年と13年の初め)中に、フランス女性との間に生まれた子供であるといった逸話が、さまざまに伝えられているが、いずれも事実とは考えられない。おそらくフィレンツェで(チェルタルド説もある)、やや低い身分の女性を母親として、1313年の夏に生まれた、と想定されている。というのも、20年に父親ボッカチオ・ディ・ケッリーノがマルゲリータ・デ・コルドーリと結婚し、同時にジョバンニも法律上、息子であることが認められているからである。また、この養母マルゲリータは、ダンテが『新生』や『神曲』に歌った女性ベアトリーチェのポルティナーリ家と姻戚(いんせき)関係にあったといい、農村地帯チェルタルド出身の金満家であった父親が、フィレンツェに進出して、上流階級に入り込もうとしていた傾向も示しているからである。21年にダンテがラベンナに客死したとき、ボッカチオは8歳であり、父親の指示によって、すでにジョバンニ・マッツゥオーリ・ダ・ストラーダという教師から読み書きを習っていた。この人物が熱烈なダンテの崇拝者であったせいもあって、幼時から、そしてまた、彼が最晩年フィレンツェ市の要請で『神曲』を講義するに至るまで、ボッカチオにとって最大の文学者はダンテであった。
1325年、フィレンツェの金融業者バルディ商会の傘下にあった父親は、息子に金融業を教え込みたいと考え、ボッカチオをナポリの代理店で働かせることにした。この南イタリアの海港都市は、当時アンジュー家のロベルト王の治下にあったが、ヨーロッパ各地はもちろん、イスラム圏も含まれ、商業の一大中心地であった。金融業の見習いに不熱心であったボッカチオは、各地から集まってきていた知識人たちと親しく交わり、独学でさまざまな文献を読破し、他方、この南国の港町で波瀾(はらん)に富んだ恋愛を経験して、上流階級はおろかロベルト王の宮廷のなかまで入り込んだ。そして、王女とも恋に陥ったかのように、フィアンメッタという高貴な女性を軸にして、やや衒学(げんがく)的な初期の作品『女神ディアーナの狩り』(1334?)、『フィローストラト』(1335?)、『フィローコロ』(1336ころ)などを著した。このころダンテを除けば、年長の同時代人ペトラルカの詩文が、ボッカチオの文学形成にもっとも大きな影響を及ぼした。
1340年、経済的理由によって父親に呼び戻され、フィレンツェに帰ったが、48年にはペスト大流行に遭遇して、その惨状を『デカメロン』(1349~51ころ)の導入部に詳細に書き込んだ。しかしながら、『デカメロン』は単なる現実描写や民間伝承話を物語風に書き換えたものではなく、たとえば導入部の48年が、ボッカチオ35歳(ダンテのいう、人生のなかば)に符合するように、細部にわたってダンテの『神曲』やペトラルカの『カンツォニエーレ』を踏まえて書かれ、寓意(ぐうい)の文学作品にまで昇華されている。これにより文名の高まったボッカチオは、40代から50代かけては、フィレンツェ共和国の特使として、ヨーロッパ各地に派遣され、ペトラルカと親交を結びつつ、政治的かつ文化的役割を果たしながら、『テーセウス物語』(1340~41)、『愛の幻想』(1342~43)、『フィアンメッタ悲歌』(1343~44)、『異教の神々の系譜』(1350~75?)など、後期の作品群を著した。75年12月21日、隠棲(いんせい)していた城塞(じょうさい)都市チェルタルドの家に没した。
[河島英昭]
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