フランスの作家。本業は医師。パリの場末町に生まれ育ち,苦学して学校に通い,医師の資格を手に入れた。第1次大戦勃発と同時に志願入隊,戦場での体験がもとで強い反戦思想を植えつけられる。復員後,国際連盟事務局に就職し,衛生事情視察のため,各地を遍歴。作家として名を成した後も,終生医業を続けた。
1932年,実生活の体験にもとづく自伝的小説,《夜の果ての旅》を発表。反社会的な内容と,大胆に俗語を駆使した革新的文体によって,賛否両論の大反響を巻き起こし,一躍世界的な有名作家となる。この処女作は作者の分身バルダミュ医師の独白のかたちで展開する叙事詩的遍歴譚で,人間社会の冷酷・不正に対して,激越な呪詛罵倒が,全編ところかまわず嘔吐のようにまき散らかされている。つづいて36年に発表された《なしくずしの死》は,同一主人公が登場する自伝的連作である。同年,セリーヌはソビエト政府の招待に応じてロシアへ旅行したが,帰国後,猛烈な反コミュニズム文書《懺悔》(1936)を発表,徹底したアナーキズム的立場を明確にする。この姿勢は,警世的な〈時事論文三部作〉の中でも受け継がれ,《虫けらどもをひねりつぶせ》(1937),《死体派》(1938),《にっちもさっちも》(1941)において,反戦・反ユダヤ・反資本主義の立場から,フランスの現状に対して歯に衣着せぬ痛罵が浴びせられる。これらの著作が災いして,政治には関与しなかったにもかかわらず,第2次大戦後セリーヌは戦犯の罪に問われ,ドイツ軍と行を共にしたあと,デンマークへ亡命,その地で逮捕,投獄。欠席裁判において,資産没収,終身禁錮の刑を宣告される。51年,特赦によって帰国。再び作家活動を始めるが,ジャーナリズムから故意に黙殺され,貧窮と失意のうちに世を去った。戦後の代表作に,悲惨な亡命生活を物語った三部作《城から城》(1957),《北》(1960),《リゴドン》(1961)などがある。
執筆者:生田 耕作
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フランスの小説家。18歳で志願入隊して第一次世界大戦で負傷。除隊後、林業会社の駐在員としてアフリカに渡るが、風土病を得て1年で帰国。独学で大学入学資格(バカロレア)をとり、医学を修めて学位を得、国際連盟衛生局に入り、世界各地の視察旅行に数年を過ごしたのち、パリ場末の貧民街で開業した。かたわら、戦争以来の体験をもとに書いた『夜の果てへの旅』(1932)が、大胆な口語表現と徹底したペシミズムとなによりも奇抜な物語で読者に大きな衝撃を与え、一躍作家としての地位を築いた。同じ主人公の少年時代を扱った『なしくずしの死』(1936)は、いっそうの大胆さで世界の悪意と人間の悲惨を描き、ために良俗派の攻撃にあいつつも、前作に勝る反響をよんだ。
しかし第二次大戦の接近とともに、性急な反戦主義から、戦争原因をユダヤ人にみて、『皆殺しのための戯(ざ)れ言(ごと)』Bagatelles pour un massacre(1937)など一連の狂気じみた反ユダヤ文書を発表、ドイツとの同盟を唱えてナチスの協力者とみなされ、ドイツの敗色が濃くなると占領下のパリを脱出、デンマークに逃れ、7年の亡命生活を送った。帰国後、亡命中の体験を描いた『城から城』(1957)で、ふたたび大きな反響をよんだ。『北』(1960)、『リゴドン』(1969年没後刊)がこれに続く。没後も彼の評価は高まる一方である。セリーヌの描く現代の地獄絵には、人間の悲惨への深い共感と相まって、一種予言的な世界が感じられる。かといって、その人種差別の犯罪も忘れてはなるまい。彼はまた、生涯「生きた書きことば」の完成を追求した文体家でもあった。
[高坂和彦]
『高坂和彦他訳『セリーヌの作品』全14巻(1978~85・国書刊行会)』
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