中国の代表的航海神。初めは福建莆田(ほでん)海辺の郷土神であったが、宋(そう)代の元祐(げんゆう)2年(1087)に泉州が貿易港として開放され市舶司(しはくし)(貿易管理機関)を設置するようになったことから、にわかに舟師(船子)の信仰が盛んになり、たちまち福建・浙江(せっこう)一帯に広まった。元(げん)代に入ると、江南から燕京(えんきょう)への米穀輸送船の遭難にしばしば顕霊(けんれい)して朝廷から「天妃(てんぴ)」の号を封ぜられて全国的に航海守護神化され、船ごとに祀(まつ)られるようになった。明(みん)代になると、一時信仰が内地に広がっていったが、1405年から鄭和(ていわ)らの西洋(南海)遠征大船団、ならびに琉球冊封(りゅうきゅうさくほう)使船の往来にしばしば顕霊して祀られ、さらには海外貿易者の進出に伴い、琉球、日本(薩摩(さつま)、長崎、水戸など)、また台湾および南洋各地にも信仰が伝わった。さらに清(しん)代には、鄭(成功ら)氏の変を克服したのち「天后(てんこう)」に封ぜられた。それで祠廟(しびょう)は宋代の封号や天妃・天后、または民間の称号「媽祖」を冠して名づけられることが多い。近代に入ると、信仰者の願望に従い、女神であることも手伝って、しだいに誕生、育児、疾病などを祈る家庭神に変化した。
[李 献 璋]
『李献璋著『媽祖信仰の研究』(1978・泰山文物社)』
中国の航海守護神(女神)。民間では媽祖と称されたが,歴代朝廷の封賜を受け,宋では霊恵妃,元・明では天妃,清では天后と封号された。その信仰は宋代に福建の莆田地方で発生し,雨旱,疫病,盗賊などから住民を守護するものとされた。元代になって海上交通が盛んになると,航海守護神として,中・南部の沿海地域を中心に,北部の沿海地域にも広まり,官民の熱い信仰を得るようになり,明・清時代にも衰えることがなかった。台湾,琉球,日本および南海地方など,広くアジア全域にも伝えられた。媽祖の伝説は,絶えず変化・発展してきたが,明末の《天妃顕聖録》によれば,莆田の林愿の六女は,建隆元年(960)3月23日生れ,幼時より仏教と道教になじみ,雍熙4年(987)9月9日,道成って飛昇した。生前,機織中に精神がぬけ出して,海上で遭難しかけた父を救助したが,母に呼び醒まされ,兄は救えなかったという。また天后娘娘と呼ばれ,子授けや乳幼児の守護神としても信仰され,泰山娘娘と判然とせぬ面がある。
執筆者:小川 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…航海安全の守護神をまつる社。媽祖廟(まそびよう)ともいう。この神はもと中国の宋代に実在した巫女といわれ,のちに天后,天妃,天上聖母などと尊称された。…
※「媽祖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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