児童・生徒に栄養的にバランスのとれた食物を摂取させることにより、心身の健全な発達を図ることを目的として、学校で集団的に行われる食事とその指導。現在のわが国では、食事作法の指導などもそれに含めて、学校の教育課程のなかに組み入れて実施している。
[井上治郎・下村哲夫]
近代以降の学校の歴史では、1790年代にドイツのミュンヘンで、篤志家が貧困家庭の子供たちにスープを提供したのが、学校給食の始まりとされている。その後、この種の試みは、ほかの先進資本主義諸国にも広まったが、20世紀に入ると、オランダ、イギリス、アメリカなどでは、学校給食を法令で規定し、国家の助成のもとに、小学校および中等学校段階のすべての子供たちにその対象を拡大する方向をたどってきた。その他の国でも、なんらかの学校給食を実施しているところが多くなってきている。また、開発途上国においても、義務教育普及策の一環として学校給食を採用する例が増えてきている。
[井上治郎・下村哲夫]
わが国でも、1889年(明治22)山形県鶴岡(つるおか)町(現鶴岡市)で、仏教者が慈善事業として児童に昼食を給与した事例がみられるが、それが国家の行政施策に取り上げられたのは、1929年(昭和4)に始まる世界恐慌の結果、とくに農山漁村の小学校で、欠食児童や健康状態の不良な児童の急増が指摘されるに至ってからである。政府はまず32年に「学校給食臨時施設方法」を定め、国庫から補助金を支出して、児童の栄養の改善を図るとともに、就学奨励の実をあげようとした。また40年には「学校給食奨励規定」を制定して、より積極的に児童の体位の向上を意図した。だが、第二次世界大戦の戦局が急を告げ、食糧統制が厳しくなるにしたがって、それも漸次中止のやむなきに至って敗戦を迎えた。
第二次世界大戦後の社会復興の過程で学校給食が再開されたのは1946年(昭和21)12月のことで、それには、アメリカ占領軍の放出物資やユニセフ(UNICEF、国連国際児童緊急救済基金、現国連児童基金)からの援助物資が大きく寄与した。
[井上治郎・下村哲夫]
わが国における学校給食が飛躍的な充実を遂げるに至ったのは、1954年(昭和29)に学校給食法が施行され、その法的根拠が確立されてからである。この法律で学校給食の対象となっているのは、小学校、中学校および盲学校、聾(ろう)学校、養護学校の児童・生徒であるが、その後、夜間の定時制高等学校などにも、その適用範囲が拡大された。1999年の対象児童・生徒数は、小学校の場合で約745万人(99.3%)、中学校にあっては約348万人(82%)である。
学校給食の実施形態には、完全給食(パン・ミルクないし米飯と副食)、補食給食(ミルクおよび副食)、ミルクだけを供するミルク給食の3種類があり、そのいずれを選択するかは、地域や学校の実情に任されている。現状では、小学校の場合はほとんどが完全給食を実施しているが、中学校においては、完全給食の実施率は66.7%(1999)で、その他はミルク給食や補食給食となっている。
完全給食については、学校種別の栄養基準量は国が定め、具体的な献立は、それに基づいて各地域の教育委員会や学校が作成するものとされている。学校給食の実施を合理化する見地から、共同調理場を設ける市町村が増加している。しかし、1996年(平成8)の腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒事件は、学校給食を通じて多数の患者と死者を出し、この事件をきっかけにして学校単位での単独調理場方式も見直されている。1999年の公立小・中学校における調理方式の実施状況は、学校数の比率でみると、単独調理場方法が45.7%、共同調理場方式が54.3%となっている。なお、調理業務を外部に委託する例もあり、9.2%の学校が外部委託である。各学校でも食事の内容や方法の多様化が図られ、たとえば、郷土や姉妹都市の料理を給食の献立に用いたり、児童・生徒が好みの食品や料理を選ぶカフェテリア方式などによる選択給食の導入などがみられる。さらに食事内容にふさわしい食器具の使用や学校食堂、ランチルームの整備・充実が推進されている。それに伴い、子供のいわゆる「犬食い」の原因とされたアルマイト製食器と先割れスプーンの使用も格段に減少した。なお、学校給食に従事している職員数は、1999年現在で、学校栄養職員(栄養士)約1万2000人、調理員約7万8000人となっている。
[井上治郎・下村哲夫]
過去半世紀にわたって、児童・生徒の食生活の改善と向上に多大の貢献をした学校給食も、そのあり方をめぐって議論が絶えない。国内における米の慢性的な生産過剰が続くなかで、完全給食に占める米飯給食の実施率はすでにほぼ100%に達し、回数も週2.7回(1998)に及んでいるが、これと従来のパン、ミルクを主とする給食のあり方との調整も、国際的な政治、経済の動向とも絡んで懸案になっている。給食費の値上り傾向のなかで、家計を圧迫しないで食事内容の質的充実を図ることや、要保護・準要保護家庭などへの補助金の増額も大きな課題である。また、僻地(へきち)や農村地帯の中学校などにおける学校給食の普及の伸び悩みをどう打開するかも問題である。さらに、学校給食が学校の教育課程のゆとりのある展開を妨げているとか、給食時の指導のみならず、給食費の徴収や経理までもが教育現場の責任にゆだねられていることが、教師の労働過重を招いている、といった厳しい指摘がある。それらとの関連で、給食専任職員の拡充、専用の食堂の設置、調理設備の近代化なども今後の課題である。さらに、この「飽食の時代」に学校給食そのものが本当に必要かどうかを改めて見直すべきではないか、という学校給食廃止論も一部で浮上している。しかしながら、学校給食はすでに社会に広く定着しており、今後の早急な廃止は予想できない。
[井上治郎・下村哲夫]
『郡司篤孝・加納敏恵著『学校給食』(1973・三一書房)』▽『橋口和子・藤井義信・田代宏編『たのしい学校給食』(1980・労働教育センター)』▽『長田健介編『学校給食の実務マニュアル』(1995・明治図書出版)』▽『日本体育・学校健康センター編『学校給食要覧』(1999・第一法規出版)』
児童,生徒らの心身の健全な発達と国民の食生活の改善に寄与するために,学校教育活動の一環として集団的に実施される給食を指す。この目的を実現するため〈学校給食法〉(1954公布)は,学校給食の目標を,(1)食事についての正しい理解と望ましい習慣を養う,(2)学校生活を豊かにし明るい社交性を養う,(3)食生活の合理化,栄養の改善および健康の増進を図る,(4)食糧の生産・配分・消費について正しい理解に導くとしている。このように学校給食の役割は,子どもに食事を与えることにとどまらず,食事を教材として味覚や食物選択能力を育て,食生活と食文化についての知識や認識を身につけ,子ども自らが心身の健康な発達を図っていくことにある。この意味で献立作成,調理法,栄養管理も教育活動と考えられ,各教科,特別活動,道徳など学校の教育計画全体に位置づけられねばならない。
学校給食は当初,近代学校の拡充に伴う貧困児童の欠食対策として始められた。食事ぬきでは学校の教育効果も乏しいと考えられるようになったからである。世界的には,1796年ドイツのミュンヘンで,ルンフォルド伯爵が地域の簡易食堂を利用して貧困学童をここに集めて行ったのが最初といわれる。救貧政策としての学校給食法をもった最初の国はオランダ(1900)であり,デンマーク,フィンランド,オーストリア,ベルギーなどがこれに続いた。イギリスは1944年教育法(バトラー法)で,初等・中等学校に給食をすることを地方教育当局に義務づけた。アメリカでは,現在学校給食連邦法と農業法とにより,公・私立初等・中等学校で給食が実施されているが,児童,生徒の保護と福祉の増進,農産物の国内消費の奨励にその重点がおかれている。日本の学校給食は,1889年山形県鶴岡町で貧困児童に昼食を与えたことに始まる。1932年には,就学奨励や体位向上の見地から文部省訓令〈学校給食臨時施設方法〉が公布され,政府も学校給食にのりだした。第2次世界大戦を境に学校給食は救貧から教育の一環へと転換するが,国際公教育会議が採択した〈学校給食および衣服に関する勧告第33号〉(1951)は,子どもの身体的および知的人格的発達の観点から,学校給食の普及整備を各国に勧告している。
戦後,日本の学校給食は,アメリカのララ(アジア救済連盟)の脱脂粉乳やガリオア(占領地域救済政府資金。ガリオア・エロア資金)やMSA協定の小麦(アメリカ余剰農産物)で賄われ,パン給食が普及した。1976年からは古米の処理もあって米飯給食が導入された。さらに,1960年代から実現された共同調理場(センター)方式は,学校給食を飛躍的に普及させたが(現在50%以上がセンター方式),それは子どもの味覚や嗜好を,オムレツ,カレーライス,ハンバーグ,スパゲッティ,トースト,サンドイッチなどへ洋風化,画一化させている。給食の質的向上のために学校給食システム,教師の負担,栄養職員の配置などの問題が課題とされる。
執筆者:新村 洋史
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