ウシが分娩(ぶんべん)のときから子牛の栄養のために乳腺で生産し,分泌するもの。
歴史
牛乳を人間の飲食用に供したのは古い時代からであって,約6000年前にインドではすでに重要な食品になっていたといわれる。また,チンギス・ハーンの兵士たちが乾燥乳を食物として携帯したとも伝えられる。日本では,大化改新のころ,福常(善那ともいう)が孝徳天皇に牛乳を献上し,天皇は善那に〈和薬使主〉の姓と〈乳長上〉の職を与えたという。その後,宮中で乳牛が飼われたこともあり,《延喜式》には諸国に〈蘇(そ)〉を作って献上させたことが記されている。蘇は現在の練乳に相当するものとされているから,この時代には酪農がかなり進み,牛乳が利用されていたことが想像できる。しかし,天武天皇の時代に家畜の食用が禁じられ,肉食忌避の風潮が拡大するにともない牛乳の飲用も長く中断したが,江戸時代にオランダ人により西洋文化が伝えられるに至り,再び牛乳が利用されるようになった。徳川家斉はインドの白牛を飼ってその乳で牛酪(バター)を製造し,徳川斉昭も水戸でウシを飼い,牛酪を製造した。しかし,この時代の牛乳の利用は上流社会に限られ,また医薬用の域を越えず,牛乳,乳製品の消費が一般化したのは明治維新後のことである。
成分
牛乳の成分中では,水分がもっとも多くて約88%を占めている。この中に乳糖および無機質は溶解しているが,脂肪(脂質)は乳濁液(エマルジョン)となり,タンパク質はコロイド状の懸濁液(サスペンジョン)となってそれぞれ分散している。牛乳の外観が白色不透明なのはこのためである。各成分を便宜上水分と固形物に大別し,固形物のうち脂肪以外の部分を無脂固形物と呼んでいる。また牛乳の加工上,脂肪に富む部分を分別してこれをクリームと呼び,残りの部分を脱脂乳(スキムミルク)という。脱脂乳に対して脂肪を含む牛乳を全乳と称することがある。脱脂乳に酸または凝乳酵素(レンニン,ペプシン)を加えると凝固する。この凝固物をカードといい,その主成分は牛乳の主要タンパク質であるカゼインである。カードを除いた残りの液は透明な黄緑色を呈し,乳清またはホエーwheyといわれる。これには乳糖のほか,乳清タンパク質,無機質,水溶性ビタミンなどが含まれる。乳清が黄緑色を呈するのはビタミンB2のためである。全乳から同様にして凝固させたカードの場合にはカゼインのほかに脂肪が含まれる。脂肪は酸や凝乳酵素により沈殿する性質をもたないが,カゼインが凝固する際に包みこまれて同時に沈殿するものである。成分組成に影響する要因としては,乳牛の品種,系統などの遺伝的要因,泌乳期,産次,年齢などの生理的要因,気候,飼育法などの環境的要因,乳房炎などの疾病的要因がある。日本の乳牛の大部分を占めるホルスタイン種は,もっとも泌乳量の多い品種で1泌乳期中の生産量は約6000kg(1日平均約21kg)に達する。しかし,固形分はジャージー種などの牛乳にくらべて低い。分娩直後の初乳や乳房炎乳の組成は通常の牛乳と異なるため,異常乳と呼ばれ,飲用牛乳や乳製品製造に用いることはできない。以下,主要成分について述べる。
(1)タンパク質 カゼインと乳清タンパク質に大別される。カゼインは全タンパク質の76~86%を占める牛乳主要タンパク質であり,数種の異なるカゼイン成分よりなっている。牛乳中ではカルシウムやリンと複雑に結合してコロイド状態で存在する。牛乳が酸や凝乳酵素で凝固するのはカゼインが凝固するためで,ヨーグルトやチーズの製造はこの性質を利用したものである。乳清タンパク質は全タンパク質の14~24%を占め,おもな種類としてラクトグロブリン,ラクトアルブミンなどがあり,初乳では免疫グロブリンが多い。(2)脂肪 直径1~10μ(平均3μ)の,タンパク質皮膜で覆われた脂肪球の形で牛乳中に分散している。比重が軽いために,牛乳を静置すると大きい脂肪球ほど浮上しやすく,表面にクリーム層ができる。飲用牛乳ではこれを防ぐために牛乳を均質化して脂肪球をさらに微細なものにしてある。牛乳脂肪の98~99%は中性脂肪(トリグリセリド)で,そのほかに微量のリン脂質やステロール類が含まれている。脂肪を構成する脂肪酸として,酪酸などの融点の低い脂肪酸が多く,リノール酸のような不飽和脂肪酸の少ないのが特徴である。(3)乳糖 牛乳の糖質の99.8%は乳糖で,そのほかにブドウ糖や果糖がごく微量含まれている。牛乳には約4.5%の乳糖が含まれているが,乳糖の甘みは砂糖の約1/5に過ぎないので牛乳には甘さがあまり感じられない。乳糖には旋光度の異なる二つの光学異性体,α-乳糖とβ-乳糖が存在する。牛乳中では二つの型の乳糖が平衡状態に達した平衡乳糖の形で存在している。乳糖は乳酸菌により発酵し,乳酸を生成する。乳酸発酵はヨーグルトやチーズの製造に広く用いられている。(4)無機質 一般に灰分ともいわれ,約0.7%含まれている。牛乳中ではカリウム,ナトリウム,カルシウム,マグネシウムは塩化物,リン酸塩,クエン酸塩などの形で溶解して存在するほか,一部のカルシウム,マグネシウムのリン酸塩,クエン酸塩は不溶性で,カゼインと結合してコロイド状態で存在している。(5)ビタミン 比較的多く含まれているビタミンはA,B1,B2,B6,ナイアシンおよびパントテン酸であるが,とくにAとB2が豊富である。これらのビタミンは牛乳の加熱殺菌に対しても比較的安定である。
栄養
牛乳に含まれる栄養素のうち,成人にとってとくに有用なものはタンパク質とカルシウムである。タンパク質は必須アミノ酸をバランスよく含み,栄養価は鶏卵のタンパク質に次いで優れたものである。米食を中心とする食事で不足しがちな,リジンのような一部の必須アミノ酸の補給に好適である。カルシウムはカゼインと結合して,吸収されやすい形で存在している。
牛乳と母乳
動物の乳汁はそれぞれの種属の幼動物に最も適した栄養物として分泌されるものである。一般に成長の速い動物では,体を構成するためにとくに重要な無機質とタンパク質の含量が高いといわれ,牛乳と母乳(人乳)についてもこの傾向が見られる。乳児にとっては母乳は必要な栄養素をすべて含んだ完全食品であるのみならず,母乳に含まれる免疫グロブリンにより新生児は母体から免疫性を得る。母乳による育児が最も優れているが,母乳の不足,母親の病気,就労などの理由で母乳が与えられない場合がある。その際に牛乳をそのまま与えることは成分の相違のため乳児の栄養にとり不適当な点があるので,牛乳の成分を質的,量的に変えて,できるだけ母乳に近づけた製品の調製粉乳(育児用粉乳)が与えられる。牛乳のタンパク質は含量が母乳の2.6倍と多いのみならず,性質も異なる。牛乳タンパク質にはカゼインが多く含まれているために,胃の中で酸とペプシンの作用を受けて粗大なカード(凝固物)を作り,乳児による消化吸収性が劣る。調製粉乳ではカードを軟らかくする処理(ソフトカード化)が行われている。脂質の含量は牛乳と母乳では大差はないが,必須脂肪酸であるリノール酸含量が牛乳脂質では少なく,調製粉乳ではリノール酸を多く含む植物油を用いて強化されている。糖質は牛乳,母乳ともほとんど乳糖であるが,牛乳中の含量は少ない。調製粉乳には乳糖が増強され,溶解したときに母乳とほぼ等しい乳糖濃度になる。無機質は牛乳には母乳の約3.5倍含まれる。過剰の無機質は乳児の腎臓の負担になるので,調製粉乳ではイオン交換などの方法でカルシウム,ナトリウム,カリウム,リンなどを一部除去すると同時に鉄が強化されている。
→粉乳
用途
牛乳は,飲用に供せられるほか,クリーム,バター,チーズ,練乳,粉乳,ヨーグルト,アイスクリームなど種々の乳製品の原料となる。
飲用乳とは牛乳を直接飲用に供するために加工処理したもので,市乳とも呼ばれる。ガラス瓶または紙容器に入れて販売される。牛乳には微生物が発育しやすく,変質腐敗が早く起こる。加工処理の目的は,なるべく成分を損なうことなく加熱殺菌し,食品衛生上安全なものとし,かつ保存性を与えることにある。
処理法
(1)牛乳の検査 搾乳後,すぐ冷却された牛乳は工場に運ばれる。原料乳の性質は食品衛生上重要であり,また製品の品質に及ぼす影響も大きいので,工場に到着した牛乳はすぐ次の乳質検査を受ける。(a)風味試験 異味,異臭がないかを調べる。(b)アルコール試験 牛乳の新鮮度試験法の一つで,牛乳に同量の70%アルコールを加えて凝固の有無を調べる。牛乳が古かったり,搾乳後の衛生管理が悪いと,乳酸菌が増殖して乳酸をつくる。このようにして酸度の高くなった牛乳ではカゼインが不安定となり,アルコールの添加により凝固する。(c)脂肪定量 飲用乳の脂肪率には規格があり,さらに原料乳の価格は脂肪率により決められるので重要な検査である。(d)セジメント試験 牛乳中のごみや異物の量を調べ,搾乳後の取扱いが衛生的であったかどうかを判定する。さらに比重,酸度,細菌数,抗生物質検出試験などを行う。原料乳として使用する牛乳は,比重1.028~1.034(15℃),酸度0.18%以下,細菌数(直接個体検鏡法)1ml当り400万以下でなければならない。また,初乳や,抗生物質を使用してそれが残留している間の牛乳は使用できない。
(2)牛乳の清浄 乳質検査の終わった牛乳は,貯乳の前にごみや異物を除かなければならない。これを清浄といい,ろ過または遠心分離により行われる。遠心力を高めて,牛乳中の細菌の約90%を同時に除去する方法もある。
(3)貯乳 清浄にした牛乳を4℃に冷却し,断熱性のステンレス製貯乳タンクに貯乳し,原料乳の入荷量と加工処理量との均衡を保つ。
(4)標準化 飲用乳には成分規格が定められているので,これに合致するように原料乳の成分調整を行うことを標準化という。標準化は脂肪または無脂固形分の含量について行うが,原料にはクリームまたは脱脂乳が用いられる。
(5)均質化 牛乳の脂肪球が浮上してクリーム層が分離し,不均質になるのを防ぐために行う処理で,高圧式のホモジナイザーが用いられる。約60℃に加熱した牛乳を,高圧ポンプで微細な間隙(かんげき)から押し出して急激に圧力を低くすることにより脂肪球を細分する。牛乳脂肪球の大きさは直径0.1~10μであるが,これを2μ以下に細分するとその浮上はひじょうに遅くなる。正常に均質化された牛乳では大部分の脂肪球が1μ内外に細分されている。栄養的には,脂肪球の細分によって脂肪がいくらか消化されやすくなり,さらにカードも柔らかくなるのでタンパク質の消化もややよくなる効果がある。
(6)殺菌,滅菌 牛乳は栄養素に富む液体であるから微生物が発育しやすく,これを加熱殺菌して衛生上安全なものにしなければならない。乳業ではこの処理のうち,とくに病原菌を完全に殺滅し,その他の微生物の発育もなるべく抑制して,しかも牛乳の風味や栄養価値を極力損じないことを目的として行われる加熱処理を殺菌という。また,風味や栄養価に多少損失があっても長く保存するために,微生物を完全に殺滅することを目的とした加熱処理を滅菌という。加熱処理法としては,保持殺菌法という比較的低い温度で長時間(63℃,30分)殺菌する方法から,より高い温度で短時間殺菌する方法に変わってきて,現在では120~130℃で2~3秒加熱するUHT(超高温)加熱法が行われている。加熱温度はひじょうに高いが加熱時間がきわめて短いため,牛乳成分の変化はかえって少ない。この殺菌条件は滅菌またはそれに近いので細菌数はほとんどゼロになり滅菌乳に近い。しかし,加熱後の容器への充てんは厳密な無菌状態では行っていないので再汚染の可能性が残り,滅菌乳とはいえない。
(7)冷却,充てん 殺菌後,直ちに冷却して10℃以下とし,容器に充てんする。容器はガラス瓶に代わって正三角形の四面体や,直方体の紙容器が多くなっている。耐水性のクラフト紙の両面をワックス被覆するか,またはポリエチレンフィルムを接着したポリエチレンラミネート紙が用いられる。ガラス瓶に比べ,軽くて破損せず,運搬が容易で,回収を要しないワンウェー容器である。とくに1l以上の大型容器はほとんど紙製になっている。充てんされた牛乳は10℃以下に冷蔵して販売される。
規格
日本の飲用乳には,規格上〈牛乳〉〈加工乳〉および〈乳飲料〉と呼ばれるものがある。〈牛乳〉とは殺菌,均質化および必要に応じて成分の標準化を行った牛乳である。〈加工乳〉は脱脂粉乳や乳脂肪などが加えられたものである。〈乳飲料〉は牛乳や脱脂乳を原料とし,これに種々の成分を加えて製造した飲料である。
種類
(1)普通牛乳 殺菌と均質化を行っただけの牛乳で,成分の標準化を行うこともある。〈牛乳〉に相当するものである。規格上は脂肪率が3.0%以上必要であるが,最近の製品は3.2%程度に標準化したものが多い。また,原料乳の脂肪率が規格より高くても,これを標準化せずに販売するものを成分無調整乳とよぶことがある。(2)還元牛乳 脱脂粉乳を溶解し,これに乳脂肪(バターオイル,無塩バター)を加えて均質化したり,または全脂粉乳を水に溶解して,牛乳と同様な組成にしてから殺菌などの処理をして販売されるものをいう。濃縮脱脂乳や濃縮全乳が用いられることもある。還元牛乳を利用すれば,牛乳生産の多い地方(または国)あるいは生産の多い季節に,過剰の牛乳を保存性のよい粉乳や乳脂肪に加工して貯蔵しておき,生産の少ない地方(または国)あるいは需要の多い時期に還元して液状乳とし,需給の調節ができる。全脂粉乳は貯蔵中に脂肪の酸化により不快臭(脂肪酸化臭)を生じやすく,脱脂粉乳と乳脂肪を用いるほうが品質のよい還元牛乳ができる。還元牛乳はそれだけで販売されることはなく,牛乳と混合し,〈加工乳〉として販売される。(3)高脂肪乳 脂肪率が4%以上のジャージー種やガーンジー種の濃厚な牛乳を原料としたもので〈牛乳〉に属する。また,通常の牛乳に濃縮乳またはクリームと脱脂粉乳を加えて,脂肪率を4%以上とし,その他の成分をも多くした高脂肪乳もあり,これは〈加工乳〉に属する。(4)低脂肪乳 ローファットミルクとも呼ばれる。全乳と脱脂乳をほぼ等量ずつ混合し,さらに脱脂粉乳を加えて無脂乳固形分を増加させたものである。脂肪率1.5%前後のものが多い。低カロリー高タンパク質が特徴である。〈加工乳〉に属する。(5)UHTミルク 保存性がすぐれているため,日本ではロングライフミルクあるいはLL牛乳と呼ばれている。UHT加熱(135~150℃,0.5~15秒)した牛乳を,紙容器に無菌的に充てんしたものであるから,微生物学的にはまったく安全である。しかし,室温で3ヵ月以上保存すると,風味の悪化(脂肪酸化臭)とタンパク質のゲル化(凝固)が起こる。ヨーロッパでは3~4ヵ月の常温保存が認められている。しかし日本ではUHTミルクが実際に販売されているが,今のところ〈牛乳〉と同じく,10℃以下での冷蔵が義務づけられている。(6)フレーバーミルク 主として脱脂乳を用い。これにコーヒー,チョコレート,果汁,フルーツエッセンス,甘味料,着色料などを加えたもので〈乳飲料〉に属する製品である。UHT滅菌により長期保存が可能な製品も多い。(7)乳糖分解乳 牛乳の乳糖は,小腸のラクターゼ(乳糖分解酵素)によりブドウ糖と果糖に分解されて吸収される。しかし,先天的あるいは後天的にラクターゼが分泌されなかったり,その活性の低い人が牛乳を飲むと,数時間以内に下痢,腹鳴りなどの腹部症状が起きる。これを乳糖不耐症というが,欧米にくらべて日本ではとくに成人に多く見られる。微生物からのラクターゼの工業的生産が可能になり,これを用いて牛乳中の乳糖の3/4ぐらいをあらかじめ分解した製品である。〈乳飲料〉に属する。
執筆者:吉野 梅夫
生産,消費
牛乳は,人間にとって必要なすべての栄養素をふくむ完全食品だといわれており,欧米諸国では,古くから食品群中もっとも重要な位置を占めてきた。日本にはもともと牛乳消費の習慣はなく,ごく一部の例外を別とすれば,明治の文明開化とともに消費が始まったのであるが,急速に消費が増えたのは第2次大戦後である。1950年には1人年間わずかに5.3kgの消費でしかなかったが,92年には68.0kgになっている。第2次大戦後の食生活欧米化の象徴品目が牛乳だった。しかし急速に増えたといっても,欧米諸国にくらべればその消費量はまだまだ少ない。たとえばフランスでは1人年間284kg,イタリア267kg,アメリカ263kg,ドイツ245kgとなっている(1992)。日本では牛乳消費の主体が飲用乳であるのに,フランスなどではバター,チーズなどの乳製品に主体があり,飲用乳消費の差は小さくなってきたが,乳製品消費量が決定的に日本は少ない。
飲用乳生産は都市近郊に,乳製品は遠隔地にというのが各国共通の立地であり,日本でもそうだったが,輸送面での技術革新,LL牛乳の登場が牛乳の立地要因を大きく変動させ,大都市飲用乳市場での産地間競争が激しくなっている。乳製品も,国際的に供給過剰であり,輸入圧力をつねに受けている。
→乳業 →酪農
執筆者:梶井 功