宇美八幡宮(読み)うみはちまんぐう

日本歴史地名大系 「宇美八幡宮」の解説

宇美八幡宮
うみはちまんぐう

[現在地名]宇美町宇美一丁目

宇美の市街地に鎮座する神社。応神天皇・神功皇后・玉依姫・住吉三神・伊弉諾命を祀る。旧県社。宇瀰宮(続風土記)、単に八幡宮(地理全誌)ともよばれた。応神天皇誕生地の伝承にちなみ安産の神として知られている。創建年代について、近世に当宮別当が記した「留守良勝伝子孫書」には「敏達天皇三年甲午筑紫蚊田邑始宮柱太敷建給う」とある。天喜三年(一〇五五)三月二〇日の大宰府符案(宮寺縁事抄/平安遺文一〇)に「宇美宮寺」とみえるのが早く、建久三年(一一九二)三月宇美宮と所領は山城石清水いわしみず八幡宮検校成清から娘の紀氏に譲渡されており、平安時代末にはすでに同宮の支配下に入っていたことがわかる(同年三月日「成清譲状」石清水文書/鎌倉遺文二)。鎌倉時代初期の別当道清(紀氏の夫)は嫡弟宗清に筥崎宮、次弟房清に当宮をそれぞれ譲与し、以後当宮は房清の系統に相伝されていった。しかし石清水八幡宮祠官家(田中家・善法寺家)は度々当宮に干渉を行い、それを停止する旨を命じた綸旨や院宣が発給されている。


宇美八幡宮
うみはちまんぐう

[現在地名]前原市川付

旧県社。長野ながの八幡宮とも称する。祭神は上宮が仲哀天皇本宮が誉田別命・気長足姫尊・玉依姫尊・瓊瓊杵尊。仁寿二年(八五二)の成立とされる筑紫怡土長野宇美八幡宮縁起(糸島郡誌)によれば、神功皇后が仲哀天皇の陵を築いたところが上宮とされ、神護景雲元年(七六七)社務公実が八幡宮・香椎宮・聖母宮・宝満宮を勧請したと伝えるが、糟屋かすや郡宇美八幡宮(現宇美町)領の長野庄が成立したのに伴い勧請されたのであろう。延文六年(一三六一)七月一三日のいたう寄進(児玉採集文書/南北朝遺文(九州編)四)にみえる「長野御ミや」は当社のことか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇美八幡宮の言及

【宇美[町]】より

…JR香椎線が通る。神功皇后が応神天皇を〈産んだ〉地と伝えられる宇美八幡宮があり,安産の神として信仰され,町名の起源ともなっている。【松橋 公治】。…

※「宇美八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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