安島帯刀(読み)あじまたてわき

精選版 日本国語大辞典 「安島帯刀」の意味・読み・例文・類語

あじま‐たてわき【安島帯刀】

  1. 江戸末期の水戸藩側用人(そばようにん)。名は信立。安政大獄で藩主徳川斉昭の謹慎中、執政として活躍したが、幕府改革の密勅を得た責任を幕府から問われ、自刃。文化九~安政六年(一八一二‐五九

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朝日日本歴史人物事典 「安島帯刀」の解説

安島帯刀

没年:安政6.8.27(1859.9.23)
生年:文化9(1812)
安政の大獄で刑死した水戸家老。諱は忠誨,のちに信立。弥次郎,帯刀と称し峨興と号す。常陸国(茨城県)の生まれ,水戸藩士戸田忠之と安島信可の娘の子,同藩士安島信順の養子戸田忠敞の弟。天保7(1836)年,家督を継ぎ同11年勘定奉行,続いて小姓頭取として藩主徳川斉昭に近侍,高150石,足高50石。天保7年には山陵修復を建議,弘化1(1844)年徳川斉昭が隠居謹慎に処分されるにおよんで処罰解除運動に参加,役禄召し上げ揚屋入り謹慎に処せられた。斉昭の藩政復帰により嘉永2(1849)年4月に自宅蟄居に減じられ同11月に処分を解かれ小普請組,5年以降小納戸役。兄の家老戸田忠敞の死後,安政3(1856)年側用人,同5年7月家老となった。この間,斉昭の藩政改革,幕政参与に関与し斉昭の7男一橋慶喜将軍継嗣擁立に参加。安政の大獄で切腹出頭を前に自画像を描いて家人に遺したという。著書に徳川斉昭の事績を書いた国文体の『しのび音』がある。

(吉田昌彦)

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改訂新版 世界大百科事典 「安島帯刀」の意味・わかりやすい解説

安島帯刀 (あじまたてわき)
生没年:1812-59(文化9-安政6)

江戸後期の水戸藩士。諱(いみな)は信立,通称は弥次郎,峨興と号した。1840年(天保11)勘定奉行,ついで小姓頭取。いったん藩主徳川斉昭の雪冤(せつえん)運動に加わり役禄を奪われたが,のち再び登用されて側用人,58年(安政5)家老に昇進。一橋慶喜を将軍に立てるため福井藩士中根雪江らと画策,同年戊午(ぼご)の密勅事件が起こると幕府の嫌疑を受けて安政の大獄に連座,翌年切腹を命じられた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安島帯刀」の解説

安島帯刀 あじま-たてわき

1812-1859 江戸時代後期の武士。
文化9年生まれ。戸田忠敞(ただたか)の弟。常陸(ひたち)水戸藩士。徳川斉昭(なりあき)の水戸藩主擁立につとめ,側(そば)用人,家老を歴任。将軍継嗣では一橋慶喜(よしのぶ)擁立を画策し,攘夷(じょうい)の密勅が水戸藩にくだると,その責任者として安政の大獄で幕府に捕らえられ,安政6年8月27日切腹。48歳。本姓は戸田。名は忠誨,のち信立。字(あざな)は恩誠。通称ははじめ弥次郎。号は峨興。著作に「志の飛音」。
【格言など】玉の緒の絶ゆともよしや我が君のかげの守りとならんと思へば(辞世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安島帯刀」の意味・わかりやすい解説

安島帯刀
あじまたてわき

[生]文化9(1812).水戸
[没]安政6(1859).8.27. 江戸
幕末期の水戸藩士。藩主徳川斉昭の擁立に尽力。同藩勘定奉行,大番頭となり,水戸の尊王攘夷運動に指導的役割を果したが,安政の大獄で処罰され,切腹。

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