古代においては「播磨国風土記」にみえる「伊和大神」を祭神としていた。同書によると、伊和大神伝承は揖保川流域を中心として宍禾・揖保・
伊和神社の特殊神事として、六〇年目ごとの甲子の年に行われる「三つ山祭」と、その年から二〇年目ごとに行われる「一つ山祭」とがある。前者は神社の東方・北方・西方にある
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兵庫県宍粟市の旧一宮町に鎮座。旧国幣中社。大己貴(おおなむち)神を主神とし,少彦名神,下照姫命を配祀。《播磨国風土記》に伊和大神と記されているが,伊和は地名で,《延喜式》には〈伊和坐大名持御魂(いわにいますおおなもちみたま)神社〉とある。808年(大同3)神封13戸を充てられ,881年(元慶5)正四位下に叙せられ,延喜の制では名神大社に列せられた。1249年(建長1)社殿が焼失したとき,軒廊御卜(こんろうのみうら)と仗儀が行われている。播磨国の一宮と仰がれ,一国鎮守の総社と尊ばれたが,近世には当地方が小藩に分封されたため,一時社運は衰えた。例祭は10月15日。特殊神事として61年目ごとの甲子年に行われる三ッ山祭,二百十日の1週間前の夕刻行う風鎮祭がある。また本殿背後に神鳥が飛来したと伝える霊石がある。
執筆者:加藤 隆久
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兵庫県宍粟(しそう)市一宮町須行名(いちのみやちょうすぎょうめ)に鎮座。祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神(おおくにぬしのかみ))。相殿(あいどの)には少彦名神(すくなひこなのかみ)、下照姫命(したてるひめのみこと)を祀(まつ)る。『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』には祭神を伊和大神と伝え、国造りの業を終え、伊和村(現社地)で亡くなったという。『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社となり、中世以降は播磨国一宮として、新田義貞(にったよしさだ)、池田、松平各氏の武家、領主の崇敬が厚かった。1912年(明治45)国幣中社に列した。例祭10月15、16日。二百十日の約1週間前の夕方から、参拝者が境内の800余の土器(かわらけ)に油を注ぎ点火する風鎮祭、61年目甲子(きのえね)の年に行われる三ツ山祭は有名。本殿は入母屋造(いりもやづくり)で、北向きに建てられている。
[飯尾直樹]
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