定福寺(読み)じようふくじ

日本歴史地名大系 「定福寺」の解説

定福寺
じようふくじ

[現在地名]大豊町粟生

南小川みなみこがわ右岸粟生あおうの小高い地にある。真言宗智山派。粟生山歓喜院と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、聖武天皇の勅願によって神亀年中(七二四―七二九)僧行基が開創したという。その後、弘法大師が一九歳の時、当寺の奥院である南方かじもりで修行したと伝え、当寺とともに弘法大師の霊跡という。寺蔵鰐口の銘に「土佐国長岡郡粟生村定福寺敬白明徳二年辛未十二月二日大願主源頼忠」とみえる。


定福寺
じようふくじ

[現在地名]福山市西町三丁目

かつての福山城の西北はす池に注ぐ芦田あしだ川の分流が東進する南側、もと長者ちようじや町と称した町並の外れにある。無量山寿経院と号し、浄土宗で本尊阿弥陀如来(室町中期作)開山は円誉(証阿祖応)で慶長年間(一五九六―一六一五)水野勝成の息女心光院追福のため、三河国刈谷かりや(現愛知県刈谷市)に創建したものを水野家移封の際移転、元和七年(一六二一)現在地に造営された。

阿部氏入封後は阿部家の香華院となり、歴代祖先の影堂をつくり、阿部正福の時代、享保元年(一七一六)本堂書院庫裏などを再建し、寺観を整えた。


定福寺
じようふくじ

[現在地名]田上町羽生田 屋敷付

羽生田の松葉はにゆうだのまつば集落の旧道沿いにある。山号羽生山。曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏・延命地蔵尊。元禄一〇年(一六九七)の御領分諸寺院開基其他(新発田市立図書館蔵)によれば、慶長一三年(一六〇八)春察の開基、開山は定光じようこう(現加茂市)四代儀堂とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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