宝塚古墳(読み)たからづかこふん

日本歴史地名大系 「宝塚古墳」の解説

宝塚古墳
たからづかこふん

[現在地名]松阪市宝塚町

坂内さかない川の右岸地帯、立野たちの町の丘陵地からさらに北東方向、小黒田こくろだ町へ延びる比高二〇メートルの低丘陵地にある。国指定史跡。一号・二号墳の二基を併せて宝塚古墳と呼称

一号墳は丘陵中央頂部に築造された前方後円墳で、全長九五メートル、後円部径五四メートル、前方部幅五四メートル、後円部高さ七・八メートル、前方部高さ四・八メートルで、伊勢国最大の規模である。内部構造は不明。外表施設として葺石円筒埴輪列が知られ、かつては後円部に四段、前方部に二段、埴輪列がめぐり、河原石が墳丘を覆っていた様子がみられたという。現在でも河原石・埴輪片が散見する。くびれ部北側の一方のみに、古墳祭祀の場であったと思われる基底幅二〇メートル、長さ一〇メートルの方形造出しが付設されている。二号墳は一号墳から北へ約六〇メートル、一〇メートルほど低い丘陵地に築造された帆立貝式の前方後円墳で、全長七二メートル、後円部径六〇メートル、同高さ八・二五メートル、前方部長さ一二メートル、同幅三四メートル、同高さ一・五メートルの規模を有し、短く低い前方部が特徴的である。内部構造は不明で、以前は後円部に二段、前方部に一段、円筒埴輪列がめぐり、葺石として河原石が墳丘を覆っていたという。

宝塚古墳
たからづかこふん

[現在地名]出雲市下古志町 上組

神戸かんど川の旧自然堤防上に造られた後期後半の古墳で、妙蓮寺山みようれんじやま古墳と近い位置に所在。別称一保いつぽ塚。墳丘は石室の天井石が露出するほど失われており、墳形は不明。墳丘には円筒埴輪片が認められる。内部施設は片袖形の横穴式石室で、南に開口玄室は奥行三・六メートル、幅二・一メートル、高さ二・五メートル。壁石は凝灰岩の切石を使い、奥壁が一枚石、側壁東壁は下段に大きな石を使った二段積み、西壁は奥部が大きな石で二段であるのに対し、前側はやや小さめな四つの石を重箱状に積上げている。

宝塚古墳
たからづかこふん

[現在地名]御嵩町中

真名田まなだ池の東方、白山神社のある丘陵から南に細長く延びた支丘の突端、標高一五〇メートルの位置にあり、すぐ南の下には天神てんじんもり古墳、南東下に経塚きようづか古墳など五世紀代の大型円墳を見下ろす。墳丘は二段築成の円墳で直径四二・八メートル、高さ九メートルの規模。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報