日本歴史地名大系 「宝幢寺跡」の解説
宝幢寺跡
ほうどうじあと
宝幢寺跡
ほうどうじあと
「福山志料」は「法道寺」とし、「山伏アリ水野家ノ時ヨリ今ニ至リ例年六月朔ハシメテ其年ノ新米ヲ献ス、由緒書ニ後深草院ノ御宇三条右大臣藤原法道ト云人宝治二年ニ開基セルニテ愛宕山華蔓院法道寺ト号ス、貞享中ノ火災ニ伝来什物類等悉ク焼失シ、杉原ノ墨付ワツカニ残レリト云、(中略)今按ニ後深草ノ御時公卿遠国ニ寺観ヲタツル事イフカシ、此二村ヲ御領ト云ニテオモヘハ、或ハ三条家ノ庄園領地ナリシヤ、或ハ長講堂領ナトノ如キ処諸国ニ散在シテ御字ヲハ加ヘシヤ、法道或ハ宝幢・法幢ニツクル」と記す。
宝幢寺跡
ほうどうじあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報