日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮島達男」の意味・わかりやすい解説
宮島達男
みやじまたつお
(1957― )
現代美術家。東京都生まれ。1979年(昭和54)東京芸術大学美術学部卒業。1981年同大学院修士課程絵画専攻修了。ジョット、長谷川等伯、マーク・ロスコ、河原温、榎倉康二らの影響を強く受ける。また1985年のヨーロッパ旅行では、ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂やルドルフ・シュタイナーの人智学協会の本部のある建物ゲーテアヌム(スイス、ドルナッハ)に強い衝撃を受ける。1983年に画廊パレルゴン(東京)にて初個展を開催。時間、空間、人間、自然の有機的な関係性の追求というテーマは活動の最初期より一貫しており、作品制作・発表を始めたばかりの1980年代初頭には、ビロードを張った15センチメートル四方のボックスを公園や河原に置いて、他者の反応を記録する一連のパフォーマンス『NATURE AND ARTIFICIALITY』(『NA・AR』)を行った。
1980年代のなかばごろより一連のデジタル・カウンター作品を制作、発表しはじめる。これは、発光ダイオード(LED)を用いて作った1~9のカウンターが、照明を落とした室内の壁や床などに配置され、それぞれ異なる速度で明滅を繰り返すインスタレーションで、多くのバリエーションが制作された。「それは変わりつづける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という三つの制作コンセプトは人間のライフ・サイクルの連続性や永遠性を示すものであり、カウンターの数字に0(ゼロ)が含まれない事実には、しばしば仏教的な輪廻(りんね)思想の影響も指摘される。1988年の「ハラ・アニュアル」展(原美術館、東京)で注目を集めた宮島は、同年のベネチア・ビエンナーレにデジタル・カウンター作品『光の海』を引っさげて登場。若手アーティストの登竜門であった「アペルト88」で国際的な注目を集めるようになり、また同じく1999年(平成11)のベネチア・ビエンナーレには日本館代表作家として、5×34メートルの巨大な壁面に2400個もの発光ダイオードをちりばめ、広島や長崎の原爆による多数の死を表現した『メガデス』を出品、日本を代表する現代美術アーティストとしての貫禄と成熟を示した。
デジタル・カウンター作品が代名詞となった観の強い宮島だが、1995年以降には初期のころに行っていたパフォーマンスを再開し、また同年より長崎で被爆した柿の木を再生し、その苗木を各地の学校に植樹する「『時の蘇生』柿の木プロジェクト」を開始するなど、時間や人間のライフ・サイクルというテーマに対して、デジタル・カウンター作品以外の多様なアプローチを試みている。国内外で多くの個展を開催しているほか、原美術館、東京オペラシティ、ファーレ立川(東京)、ベネッセアートサイト直島(なおしま)(香川県)などには作品が恒久設置されている。東北芸術工科大学副学長。
[暮沢剛巳]
『『直島、家プロジェクト「角屋」』(2001・ベネッセコーポレーション)』▽『「宮島達男展 Mega Deathshout! shout! count!」(カタログ。2000・東京オペラシティギャラリー)』