朝日日本歴史人物事典 「宮崎友禅」の解説
宮崎友禅
江戸中期の扇・染物絵師。日本の染織上画期的な,糊防染による彩色染法である友禅染の創始者として知られ,天和~元禄(1681~1704)ごろ活躍したとされる。その名は文献に多出するが,友禅のほか祐善,友泉,幽禅,勇禅,友染,友仙,有禅,幽仙と多様で,生没年,染色家としての経歴も明らかではなく,後年加賀に住み墓所が金沢にあるとする説も信憑性に乏しい。名が最初に文献に現れるのは,井原西鶴の『好色一代男』(1682),『好色二代男』(1686),『男色大鑑』(1687)などで,当時京都の知恩院門前に住んだ絵師で,扇に機智に富んだ絵を描いて売ったのが大いに人気を博し,その図柄が衣装に写されたものもあったという。 『男色大鑑』に「幽禅の萩のすそ書」とあるように,自ら筆を取って模様を描いたこともあったようだが,染色家としていわゆる友禅染を行っていたかは明らかではなく,元禄5(1692)年の『余情ひいながた』(友禅自筆の唯一の雛型本)や,同年刊行の『私歌ものあらがい』の挿絵などをみても,染色家としてよりもすぐれた「デザイナー」として活躍していたとも思われる。世に友禅作とされる染めの掛軸の類はかなり残っているが,いずれも確証のあるものではなく,友禅染の技術の創始者ないし発明者としてはまだ謎の部分が多い。しかしいずれにしても中世から近世への服飾文化の流れのうえでの,織物から染め物への大きな転換,そしてその究極としての多彩で絵画性を持った友禅染の完成への原動力となったその存在は大きなものといわねばならない。
(山邊知行)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報