20世紀日本人名事典 「宮崎民蔵」の解説
宮崎 民蔵
ミヤザキ タミゾウ
明治・大正期の社会運動家 土地問題の先駆者。
- 生年
- 慶応1年5月20日(1865年)
- 没年
- 昭和3(1928)年8月15日
- 出生地
- 肥後国玉名郡荒尾村(熊本県荒尾市)
- 別名
- 号=巡耕,行雲,別名=野村 耕介(ノムラ コウスケ),中村 幸作(ナカムラ コウサク)
- 経歴
- 10歳頃から銀水義塾、友枝塾で学び、明治18年頃上京し中江兆民の仏学塾に入るが、病を得て帰郷する。この前後に仏・英語を学ぶ。16歳頃から土地問題について関心を抱き、“土地均享主義”を実行するため上京。30年渡米し、各国のアナキスト、社会主義者などと交わり、33年英文の「土地復権につき全人類に檄告する」をニューヨークで刊行。同年渡欧して帰国。34年3ケ月の約束で郷里の村長となり、上京して35年土地復権同志会を結成。39年「土地均享・人類の大権」を刊行して全国を遊説。このとき社会主義者とも交わった。のち朝鮮、中国に渡って弟滔天とともに孫文らの中国革命に協力し、また各種の実業を試みた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報