出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、唐初の諫臣(かんしん)。曲城(山東省掖(えき)県北東)の人。幼少のときに孤児となったが読書に努め、隋(ずい)末の動乱の際には李密(りみつ)の書記となった。李密が唐に降伏すると、唐の高祖李淵(りえん)の長子李建成(りけんせい)に仕え、弟の李世民(りせいみん)(太宗)を除くように勧めた。玄武門(げんぶもん)の変で、世民が建成を倒して帝位につくと、かえってその器量を認められてただちに諫議大夫(かんぎたいふ)に任ぜられ、以後死ぬまで諫臣としてよく太宗に仕えた。その諫言は『貞観政要(じょうがんせいよう)』にみえ、守成の難を説いた話は有名である。また『隋書』は彼の奉勅撰(ほうちょくせん)であり、『梁書(りょうしょ)』『陳書(ちんしょ)』『北斉書(ほくせいしょ)』『周書(しゅうしょ)』の編纂(へんさん)にも携わって良吏と称せられた。ほかに彼の関係した書物には『類礼(るいれい)』20巻、『群書治要(ぐんしょちよう)』50巻(奉勅撰、ほぼ現存)がある。
[金子修一]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…その基本は君臣それぞれが公人としての立場を貫いて政権の公的性格を徹底させることにあり,そのためには諫言をたてまつりまた納めることが重視された。この原則を最も強く主張したのが魏徴である。貞観時代は失政もあったが大局的には理想主義の生きた時代で,後世の模範となり,日本の清和天皇の年号(859‐877)もこれにならっている。…
… 九嵕山の丘陵から南麓の平地部にかけて,約20万haが太宗の皇親や功臣を陪葬した陵園で,柏城ともいう。山上には嫡主の3公主と燕妃および唐朝草創の功臣である魏徴の墓を配し,それ以外は山下に墓をつくる。現在167基の陪葬墓が確認され,うち57基の被葬者が判明し,1981年までに11基が発掘されている。…
※「魏徴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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