魏徴(読み)ギチョウ(その他表記)Wèi Zhēng

デジタル大辞泉 「魏徴」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐ちょう【魏徴】

[580~643]中国初の政治家学者。曲城(山東省)の人。あざなは玄成。太宗に召し出され、節を曲げぬ直言で知られる。「隋書ずいしょ」「群書治要」などの編纂へんさんにも功があった。

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精選版 日本国語大辞典 「魏徴」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐ちょう【魏徴】

  1. 中国、唐代初期の諫臣(かんしん)。字(あざな)は玄成。山東曲城の人。玄武門の変後、太宗に仕え、諫議大夫となる。「梁書」「陳書」「北斉書」「周書」の各正史編纂に関与し、「隋書」を撰した。「述懐」の詩は有名。(五八〇‐六四三

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改訂新版 世界大百科事典 「魏徴」の意味・わかりやすい解説

魏徴 (ぎちょう)
Wèi Zhēng
生没年:580-643

中国,唐初の諫臣(かんしん)。字は玄成。鉅鹿曲城(河北省)の人。封爵により魏鄭公とも呼ばれる。隋末に李密,唐に入って高祖の長子李建成に仕えたが,玄武門の変をへて太宗が即位すると,かえって重用され宰相にまでなった。中国史上もっとも有名な諫臣で,その守成の難などを説いた議論は《貞観政要》《魏鄭公諫録》にみえ,〈述懐〉と題する詩は《唐詩選》の巻首におかれている。《隋書》を含む五代史や《群書治要》を編纂した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「魏徴」の意味・わかりやすい解説

魏徴
ぎちょう
Wei Zheng; Wei Chêng

[生]太建12(580)
[没]貞観17(643)
中国,唐初の功臣,学者。魏州曲城 (山東省掖県) の人。字は玄成。諡は文貞。隋末の乱に李密の軍に参加し,ともに唐の高祖に帰順した。初め仕えていた高祖の長子李建成が弟の世民 (のちの唐の太宗 ) と争って敗れてからは世民に仕えて信任を得,世民の太宗即位 (627) 後は諫議大夫,秘書監,侍中 (宰相) と昇進,鄭国公に封じられた。唐室創建の功臣の一人でよく太宗を助け,いわゆる「貞観の治」に貢献した。貞観 16 (642) 年太子太師となり,翌年死去。『隋書』『北斉書』など正史の編纂に関与したほか『羣書治要』 (50巻) を主編。現存する詩は少いが,『述懐』1編が有名。諫臣として著名で,文集『魏鄭公文集』 (3巻) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「魏徴」の意味・わかりやすい解説

魏徴
ぎちょう
(580―643)

中国、唐初の諫臣(かんしん)。曲城(山東省掖(えき)県北東)の人。幼少のときに孤児となったが読書に努め、隋(ずい)末の動乱の際には李密(りみつ)の書記となった。李密が唐に降伏すると、唐の高祖李淵(りえん)の長子李建成(りけんせい)に仕え、弟の李世民(りせいみん)(太宗)を除くように勧めた。玄武門(げんぶもん)の変で、世民が建成を倒して帝位につくと、かえってその器量を認められてただちに諫議大夫(かんぎたいふ)に任ぜられ、以後死ぬまで諫臣としてよく太宗に仕えた。その諫言は『貞観政要(じょうがんせいよう)』にみえ、守成の難を説いた話は有名である。また『隋書』は彼の奉勅撰(ほうちょくせん)であり、『梁書(りょうしょ)』『陳書(ちんしょ)』『北斉書(ほくせいしょ)』『周書(しゅうしょ)』の編纂(へんさん)にも携わって良吏と称せられた。ほかに彼の関係した書物には『類礼(るいれい)』20巻、『群書治要(ぐんしょちよう)』50巻(奉勅撰、ほぼ現存)がある。

[金子修一]


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旺文社世界史事典 三訂版 「魏徴」の解説

魏 徴
ぎちょう

580〜643
唐代初期の政治家
隋末期の群雄のひとりである李密に仕え,のち,唐の高祖李淵の長子李建成に,さらにその弟李世民(太宗)に仕え,諫臣 (かんしん) として聞こえ,太子の太師に任ぜられた。『周書』『隋書』『北斉書』『梁 (りよう) 書』『陳書』などの史書の編修を主宰し,『群書治要』を著した。

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世界大百科事典(旧版)内の魏徴の言及

【貞観の治】より

…その基本は君臣それぞれが公人としての立場を貫いて政権の公的性格を徹底させることにあり,そのためには諫言をたてまつりまた納めることが重視された。この原則を最も強く主張したのが魏徴である。貞観時代は失政もあったが大局的には理想主義の生きた時代で,後世の模範となり,日本の清和天皇の年号(859‐877)もこれにならっている。…

【昭陵】より

… 九嵕山の丘陵から南麓の平地部にかけて,約20万haが太宗の皇親や功臣を陪葬した陵園で,柏城ともいう。山上には嫡主の3公主と燕妃および唐朝草創の功臣である魏徴の墓を配し,それ以外は山下に墓をつくる。現在167基の陪葬墓が確認され,うち57基の被葬者が判明し,1981年までに11基が発掘されている。…

※「魏徴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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