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富永太郎 とみながたろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

富永太郎
とみながたろう

[生]1901.5.4. 東京
[没]1925.11.12. 東京
詩人。第二高等学校,東京外国語学校仏語科に学んだ。 1924年小林秀雄,河上徹太郎らと同人誌山繭』を発刊。 C.ボードレール,A.ランボーらの詩を翻訳するとともに,同年『秋の悲嘆』『橋の上の自画像』などを発表,青春の情感が漂う象徴派的な詩風を完成した。没後『富永太郎詩集』 (1927) が友人の手で刊行された。

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百科事典マイペディアの解説

富永太郎【とみながたろう】

詩人。東京生れ。東京府立一中から第二高等学校理科に進み,ボードレールを耽読して詩作もしていたが,人妻との恋愛問題で1921年退学。翌年東京外国語学校仏語科に入学,1924年中退。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

富永太郎 とみなが-たろう

1901-1925 大正時代の詩人。
明治34年5月4日生まれ。ボードレールに傾倒。中原中也を知り,小林秀雄のすすめで「山繭(やままゆ)」に参加。「秋の悲嘆」など象徴派詩人として注目をあびたが,大正14年11月12日肺結核のため死去。25歳。没後「富永太郎詩集」が刊行された。東京出身。東京外国語学校(現東京外大)中退。
【格言など】私には群集が絶対に必要であった(「断片」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

富永太郎

没年:大正14.11.12(1925)
生年:明治34.5.4(1901)
大正時代の詩人,画家。謙治,園子の長男。東京本郷生まれ。大正3(1914)年,東京府立一中入学,8年,仙台の第二高等学校理科乙類に入学。ボードレールに傾倒し,H・Sという人妻との恋愛事件を起こして退学。11年,東京外国語学校仏語科に入学,ボードレールの翻訳や詩作を始める。12年12月から翌年1月まで上海に遊び,帰国後は画家になることを考え,絵の修業を始める。7月,二高時代の友人で京大にいた正岡忠三郎を頼って京都へ行き,このとき立命館中学在学中の中原中也と出会い,斬新なフランスの詩を中也に教える。これは中也が本格的な詩作を始める契機となった。また同年暮れ,小林秀雄の勧めで『山繭』同人となり,幾篇かの詩を発表し,それを読んだ小林もまた富永の感化を受ける。富永の作品は象徴詩風の端正なもので,「橋の上の自画像」「秋の悲嘆」「鳥獣剥製所」など,ボードレール,ランボーなどの影響を受けながら,その模倣に終わらず,独自の詩作を続けた。恐らく当時の日本の文学者で,フランス象徴派の作品を富永ほど正確に受容した詩人はいないだろう。それは理論的というよりは,ほとんど感性的なもので,富永自身の作品は,ボードレールの散文詩にありそうでありながら微妙に異なり,日本の詩の歴史に初めての抒情的,思想的な果実をもたらした。肺病に苦しみながらランボーなどの翻訳を続け,同時に「焦躁」「遺産分配書」などの散文詩を書いた。時代に先駆けた才能であったが,病魔が大成を妨げた。<著作>『富永太郎詩集』『富永太郎詩画集』<参考文献>大岡昇平『富永太郎』

(及川茂)

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世界大百科事典 第2版の解説

とみながたろう【富永太郎】

1901‐25(明治34‐大正14)
大正期の詩人。東京生れ。第二高等学校理科に学んだが,人妻との恋愛事件で1921年中退。翌年東京外国語学校仏語部に入学,24年に退学。二高時代からボードレールに傾倒,散文詩を訳し,みずからも詩を書き始めた。23年から24年にかけて上海,京都で生活,京都では中原中也を知った。24年12月,小林秀雄らと同人雑誌《山繭(やままゆ)》を創刊,以後同誌に〈秋の悲歎〉〈鳥獣剝製所〉などの代表作を発表した。これらの詩は解体する自我の統合再生を主題としたもので,物質のイメージの使用,過去と現在とが交錯する時間構造などによって1920年代の日本の象徴主義に独自な位置を占めている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

富永太郎
とみながたろう
(1901―1925)

詩人。明治34年5月4日東京に生まれる。生物学を志して仙台の第二高等学校理科に進むが、ショーペンハウアーやニーチェを耽読(たんどく)して文学に親しみ、とくにボードレールにひかれてフランス語を学んだ。1921年(大正10)、人妻との恋愛がその夫に知られて12月に二高を退学、東京に帰るが、以後この女性は彼の作品に決定的な影を残すことになる。翌年、東京外国語学校(現東京外語大学)仏語科に入学、ボードレールの散文詩や『人工天国』を訳す一方、油絵にも熱中した。1923年末から1924年初めにかけて中国の上海(シャンハイ)を放浪、また夏には京都に遊んで中原中也(ちゅうや)を知った。9月、府立一中の後輩である小林秀雄(ひでお)によりランボーの『地獄の季節』に出会う。12月、小林の勧めで同人雑誌『山繭(やままゆ)』に参加、散文誌『秋の悲歎』ほかを発表、瞠目(どうもく)されるが、翌年11月12日、肺結核が悪化、酸素吸入器のゴム管を自ら取り去って死んだ。日本で初めての象徴詩人として評価は高く、小林秀雄は「白銀の衰弱の線条をもって人生を縁取って逝(い)った詩人」として、その死を悼んでいる。[高橋世織]
『『富永太郎詩集』(1975・思潮社) ▽大岡昇平編著『富永太郎詩画集』(1972・求龍堂) ▽大岡昇平著『富永太郎――書簡を通して見た生涯と作品』(1974・中央公論社)』

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