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富田砕花 とみた さいか

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美術人名辞典の解説

富田砕花

詩人・歌人。名戒治郎。日大卒。歌集『悲しき愛』発刊。明星派に属する浪漫的傾向の歌人として知られたが後社会主義に傾き民衆派詩人として活躍。詩集『末日頌』『地の子』『登高行』等、評論に『解放の芸術』等がある。昭和59年(1984)歿、93才。

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百科事典マイペディアの解説

富田砕花【とみたさいか】

詩人,歌人。本名戒治郎。岩手県生れ。日大植民科卒。《明星》などで歌人として出発,歌集《悲しき愛》を刊行した。大正期に入って詩に転じ,詩集《末日頌》を刊行。また,ホイットマンカーペンターの影響を受け,評論《民衆芸術としての詩歌》などで民衆詩派の詩人として活動する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

富田砕花 とみた-さいか

1890-1984 明治-昭和時代の歌人,詩人。
明治23年11月23日生まれ。石川啄木の影響をうけ,「明星」などに短歌を発表。大正以降詩作に転じ,民衆詩派のひとりとして活躍した。昭和59年10月17日死去。93歳。岩手県出身。日大卒。本名は戒治郎。歌集に「悲しき愛」,詩集に「地の子」,訳詩集にホイットマン「草の葉」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

富田砕花
とみたさいか

[生]1890.11.15. 盛岡
[没]1984.10.17. 芦屋
歌人,詩人。本名,戒治郎。 1908年新詩社に入り歌集『悲しき愛』 (1912) に結晶する『明星』派恋愛歌を発表。大正期には W.ホイットマンの影響を受けて百田宗治白鳥省吾らと並ぶ民衆詩派として歌人から詩人に転じ,『末日頌』 (15) ,『地の子』 (19) ,『「時代」の手』 (22) などの詩集を発表。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

富田砕花
とみたさいか
(1890―1984)

歌人、詩人。本名戒治郎(かいじろう)。盛岡市に生まれる。幼時生家が没落し、盛岡中学校を経て、日本大学植民科を卒業後、中国、満州(中国東北)、モンゴルなどを巡歴。1908年(明治41)新詩社に入り、『明星』『スバル』に短歌を発表して、12年(大正1)歌集『悲しき愛』を出した。詩集に『末日頌(しょう)』(1915)、『富田砕花詩集』(1921)、『「時代」の手』(1922)、『登(と)高行』(1924)、『手招く者』(1926)などがある。民衆詩派の1人とされるが、作風には民主的理念の鼓吹からくる観念性が目だち、民衆詩派でも、白鳥省吾(しろとりせいご)、福田正夫らと相違がある。[古川清彦]

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