民衆詩派(読み)みんしゅうしは

日本大百科全書(ニッポニカ)「民衆詩派」の解説

民衆詩派
みんしゅうしは

文学流派。1916年(大正5)ごろから、福田正夫白鳥省吾(しろとりせいご)、加藤一夫らは、トルストイ、ホイットマン、トローベルなどに学んで民主主義の立場から労働者や農民の労働や生活を詩の題材に選ぶようになった。18年1月、彼らは百田宗治(ももたそうじ)や富田砕花(さいか)らと『民衆』を創刊、民衆派の名称はしだいに一般化した。以後、この派を含めて民主的傾向をもつ詩や詩人を民衆詩派とよぶようになった。この派の功績は詩に現実性と平易性とをもたらしたことだが、そのかわりに詩が弛緩(しかん)し散文化して、北原白秋(はくしゅう)や日夏耿之介(こうのすけ)などの芸術派の人の攻撃を受け、大正末年以降は力を失っていった。

[安藤靖彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「民衆詩派」の解説

民衆詩派
みんしゅうしは

大正期に盛んであった詩運動の一派白鳥省吾,福田正夫,富田砕花百田 (ももた) 宗治らが中心。大正デモクラシー台頭を背景に,詩語の平明化,詩表現における社会性を重視,W.ホイットマン,H.トラウベル,E.カーペンター,E.ベルハーレンなど西洋の民主的詩人を述し,『民衆』『表現』『科学と文芸』などの機関誌,『日本社会詩人詩集』 (1922) ,『泰西社会詩人詩集』 (22) などのアンソロジーを刊行した。 1917年には同派が中心になって当時の代表的詩人を糾合した詩話会が結成されるなど詩壇の中枢を占める勢いを示したが,やがてプロレタリア詩の勃興とともに衰退した。

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世界大百科事典 第2版「民衆詩派」の解説

みんしゅうしは【民衆詩派】

1917年(大正6)ころから約10年間,詩壇に一地歩を占めていた民主主義的詩人の一派で,民衆の生活や心を日常語で平易に表現した。16年ころから詩壇に庶民的傾向が現れ,18年1月に福田正夫を中心とした雑誌《民衆》が創刊されてその傾向をおし進めたが,18年3月ころから民衆派・民主派の名称がこの傾向の一派に与えられ,その後,これらと同義の民衆詩派という名称も流布するようになった。この派の詩人には,福田正夫,白鳥省吾(しろとりせいご),百田宗治(ももたそうじ),富田砕花,井上康文,花岡謙二らがおり,加藤一夫も協力した。

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