寺本婉雅(読み)てらもとえんが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「寺本婉雅」の意味・わかりやすい解説

寺本婉雅
てらもとえんが

[生]明治5(1872).12.18. 愛知
[没]1940.12.
チベットに3回入国したチベット学者。 1899年成都から打箭炉を経てパタンまで入ったが,志をとげず帰国。 1900年北清事変に陸軍通訳として従軍,北京版大蔵経などを請来,雍和宮座首アキャフトゥクトゥを日本に招いた。 02年ドロンノールを経て,青海にいたり,05年クンブムからラサタシルンポインドを経て帰国。 06年西安を経て再び青海にいたり,ウルガより青海に帰ったダライ・ラマ 13世 (→トゥプテンギャツォ ) と接触。いったん帰国してのち 08年山西五台山にいたり,ダライ・ラマ 13世と西本願寺大谷尊由会見を準備し,北京滞在のダライ・ラマ周辺でも活躍した。 09年に帰国,以後研究生活に入り,15年以後大谷大学教授をつとめた。請来文献は大谷大学に所蔵されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「寺本婉雅」の意味・わかりやすい解説

寺本婉雅 (てらもとえんが)
生没年:1872-1940(明治5-昭和15)

北京版《チベット大蔵経》を日本にもたらした仏教学者。1900年(光緒26)〈北清事変〉に従軍してチベット語文献を初めて大量に日本に将来した。05年青海のクンブムからラサに至り,シガツェ(日喀則)を経てインドに出た。08年山西五台山に行き,ダライ・ラマ13世と大谷尊由の会見を準備した。翌年帰国して研究生活に入り,15年以後大谷大学教授を務めた。将来文献は同大学に所蔵。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺本婉雅」の解説

寺本婉雅 てらもと-えんが

1872-1940 明治-昭和時代前期の仏教学者。
明治5年3月21日生まれ。34年からチベットの僧院でまなび,ラマ教を研究。大正4年真宗大谷大教授となり,チベット語による仏教研究の道をひらく。北京版チベット大蔵経を日本にもたらしたことでも知られる。昭和15年12月19日死去。69歳。滋賀県出身。真宗大(現大谷大)中退著作に「西蔵語文法」,訳書に「于闐(うてん)国史」など。

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