日本歴史地名大系 「寺部村」の解説
寺部村
てらべむら
矢作川が大きく東に湾曲する地点にあり、対岸の
応永二三年(一四一六)三月三〇日の沙弥道善寄進状(猿投神社文書)に「寺部郷太郎丸名内、永代五日市庭道善付買申候、同為作職年貢毎年九月十六日可沙汰申候」とある。
寺部村
てらべむら
寺部村
てらべむら
新庄村の東に接し、中世には
産土神は十二所権現(現熊野神社)で、社領三反二畝一五歩(高三石九斗)を有し、うち三反が寺部村、二畝一五歩が新庄村にあった。
寺部村
てらべむら
東部は標高五〇メートルほどの山が連なり、西部に集落や水田がある。海岸沿いに発達した集落で、今も寺部船溜などがあり、釣客も多く訪れる。近世は松平対馬守領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報